「海軍擴張の方針」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「海軍擴張の方針」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

我國海軍の擴張は東洋の海上權を占むるを程度とし常に海外の形勢に着目して其進歩の實際を察し之に對して終始平均を保つの一義を忘る可らず而して其平均を保つが爲めには納税力の許す限り一隻にても二隻にても軍艦の多からんことを望むは勿論なりとして實際に其程度は時々搨キを免かれずして素より一定の數を以て律す可らずと雖も例へば英の海軍は佛露同盟の艦隊を目的として擴張を謀り又獨墺伊三國同盟の軍備も等しく佛露の聯合兵力に對して警戒を怠らざるが如く日本の海軍も其擴張に就ては自から他の勢力を目的として計畫せざるを得ず目下歐米のゥ國が東洋に有する艦隊の勢力は前に示したる如くにして若しも彼我單獨の比較に於ては我現在の海軍力は優にゥ國の上に出づるの實を認む可しと雖も彼の列國が東洋に於ける利害の關係よりして一旦必要の場合には更らに聯合同盟の成立することなきを期す可らず其聯合同盟が如何なる國々の間に行はる可きやは素より外交上の機微に存して之を豫知するに由なしと雖も兔に角に之に對して平均を保つの用意を全ふせんとするには少なくも最強の二三箇國を相手として優勢を占むるの覺悟なかる可らず前表に據て算すれば露佛獨の現在勢力は合せて八萬八千八百九十噸、これに英の勢力を加ふるときは十五萬噸に上る其上に英露兩國攝ィの説にしていよいよ事實ならんには英一國のみにても九萬噸の多きに達し露も亦明年中には目覺ましき勢力を呈することなら

ん況んや一旦有事の日には彼等は其本國もしくは東洋附近の海鎭より續々應援の艦隊を派遣するの用意乏しからざるに於てをや單に現在の勢力のみを標準と爲す可らざるは勿論なる可し然るに我海軍の現在力は僅々九萬噸にして聞く所に據れば新計畫に係る第一期及び第二期のものを合算すれば凡そ二十萬噸に達するよし第二期計畫の如きは未定の數にして未だ確否を知らざれども假りに右を事實として我勢力は今後幾年の間には二十萬噸に達するものとするも其二十萬噸の中には既に老朽に瀕したる巡洋艦若しくは小形の砲艦等、實際にョむ可らざるものも少なからざる其反對に英露等の東洋艦隊はますます新勢力を加へつゝありと云ふ未だ容易に滿足するを得べからざるなり且つ軍艦には自から一定の命數即ち有效年限ありて其年限を經過するときは老朽、用に堪へざるの常にして例へば主戰艦、海防艦、裝甲巡洋艦の如き堅牢なる鐵骨艦は凡そ二十五年、鐵骨木皮もしくは木造の大艦は十八年、又非裝甲巡洋艦、報知艦、水雷砲艦、水雷艦の如き薄弱なる鐵骨艦は十五年、但し右の年限中に充分なる修繕を施したるが爲めに其命數を長ふし又は不時の破損の爲めに有效年限を短縮することあるは勿論として扨常に二十六萬噸の勢力を維持せんとするには右の命數に應じて終始新陳代謝を行はざる可らず而して其代謝を行ひつゝ二十萬噸の勢力を維持するときは果して東洋の海上權を占めて永く外交の平均を保ち得べきやと云ふに列國の形勢如何に由りては更らに二十五萬噸に揩オ又更らに三十萬噸に揩キの必要を見るやも知る可らず否な我輩は現在に於ても二十萬噸の數に滿足するを得ず一隻にても二隻にても多々ますます多からんことを希望するものなり即ち我輩が國民納税力の許す限り海軍の擴張を勉めんと主張する所以にして事の必要萬、止むを得ざるの場合もあらば海陸軍の本末輕重より見て假令ひ陸の一法を減じても海の一方に揩キの決斷も敢てせざる可らずと雖も日本の國力を以てすれば二三十萬噸の海軍これを維持するは決して難事に非ず敢て斷言する所なり封建武士の帶刀は平素の用意にして漫に人を斬るが爲めに非ざれども一たび之を拔くときは斷じて對手を倒すの覺悟なかる可らず既に海軍を備ふる以上は苟も敵を見るときは進んで其本據を破壞し若しくは中途に逆撃して海上を一掃するの勢力を有するこそ肝要なれ敵の優勢に畏避して自國の港内に蟄伏し一國の面目利uを擧て他の蹂躙に一任するが如き薄弱のものならんには實際は全く海軍の備なきと一般のみ英人の言に有效の海軍は如何に高價なるも其實廉價なり無效の海軍は如何に廉價なるも其實高價なりと云へり我國に有效の海軍を備ふるは國力に割合して決して價のきものに非ず國民たるものゝ大に奮發す可き所なり