「昨今の政論」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「昨今の政論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

昨今の政論

新聞紙の發行停止を廢す可しとは論者の多年希望したる所にして衆議院に於ても幾度か之を議决したれども當局者は常に反對して其希望を實にするを得ざりしに今度の政府は大に言論を自由にするの趣意にて軍事外交の祕密は自から別として通常の政論に付ては制裁を加へず論者の論ずるがままに放任す可しと云ふ事實果して然らば近頃の大英斷と稱す可し左れば政府既に此英斷を以て論者を待つ以上は論者も亦雅量を以て之を迎へ自から制して法外に逸することなく以て當局者をして多年彼等の言論自由を唱へたるも偶然に非ざる次第を悟らしむるは自から徳義上の義務なる可きに實際に於て往往然らざるものあるこそ遺憾なれ試に昨今の政論を見るに論調甚だ高からずして時に或は毒言を放ち私行を裁きて他の名譽を傷けんとするものあり或は罵詈讒謗を逞うして離間中傷を事とするものあり恰も惡少年が長老の束縛を解かれたるを幸として惡戲を恣にするに異ならず心あるもの皆顰蹙せざるはなし盖し敵を倒すに急なるより知らず識らず勢に乘じて則を踰ゆるものならん其衷情を察すれば恕す可きものなきに非ずと雖も斯くては政論界の風光を害するもにならず亦自から其身の不利なる可しと云ふは他なし凡そ如何なる議論にても其論調の君子ならざるは即ち論者の不徳にして自から世間の賤しむ所と爲るが故に人に向て卑劣なる攻撃を加ふるは恰も天を仰で唾するが如く加へられたるものに苦痛を與へずして其これを加へたるものこそ却て自から攻撃を招く可ければなり社會の制裁は嚴として犯す可らず論者の深く自から戒む可き所なり更に又一歩を進めて政界の事情を窺ふに苟も政敵の施設と云へば善きも惡しきも無差別に非難せんとするこそ一種特色の奇相なれ或る部分の者は一意專心、唯當局者に忠義だてして無き功勞までも吹聽せんとすると同時に他の一方にては一より十に至るまで都て惡しざまに云ひ做さんとして遂には自家の曾て主張したる所のものさへ非難せんとするの色あるが如し奇に非ずして何ぞや政敵をして信用を失はしめんには成る可く其政策の非を鳴らさざる可らざれども又其間に多少の餘地を存して與ふ可きは與へ譽む可きは譽めざる可らず例へば政府が大に奮發して言論を自由にするの意ありと云へば事は元來世人の熱望せし所なれば假令ひ敵の手に依て行はるるとも兎に角に之を英斷として滿足せざるを得ず又責任内閣論の如きも豫て人人の希望する所なれば政府の宣言も成る可く其意味に解釋して實行を迫るこそ智者の事なれ斯くて許す可きは十分これを許すと共にいよいよ許す可らざるの大節に臨み全力を擧て大打撃を加へなば議論始めて有力にして或は人を感服せしむることもある可しと雖も無差別の攻撃は恰も痩犬の無暗に吠ゆるが如く人をして何等の感服をも〓さしむるに足らずいよいよ盜賊の忍び入らんとする大切の塲合に聲を大にして絶叫するも又例の痩犬が何を見て吠ゆるにやとて顧みるものなきに至る可し或は此境遇に至りても騎虎の勢、自から止むを得ずして世間の輿論に反し自家の嘗て國利民福を増進する長計として唱へしことも反對黨の手に依て爲さるるが故に害ありとして非難を試みんとするか、恰も已が手に握りたる梢の枝を切落して身も共に落つるが如し愚と云はんより寧ろ狂と云ふ可し故に彼の當局者に賛成する者も主公の一擧一動を譽め囃すこと扈從輩の若殿に於けるが如き見苦しき失態を愼むと共に其之に反對する者も亦徒に狂犬を學んで識者の笑を買はんよりも寧ろ男らしく讓る可きは讓り假す可きは假しいよいよ讓る可らず又假す可らざるの塲合に一歩も退かず全力を盡して爭ふ可し斯くの如くすれば政論は喧しけれども亂れず烈しけれども高尚にして始めて君子の爭を見る可し我輩の敢て望む所なり