「海岸防禦」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「海岸防禦」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

海岸防禦用として水雷艇の效力は前に述べたる如くにして其完備を要すること勿論なりと雖も海防の目的を達せんとするには同時に固定防禦即ち砲臺、敷設水雷、望樓等の設も亦甚だ肝要なり砲臺は敵艦が海岸の彈着距離内に進み來りて我軍港商港市街地等を砲撃破壞するの損害を防ぐことを主とするものにして其效力は軍艦と同日に語る可らず殊に海上權の占有を目的とする我國に於て軍艦に重きを置く可きは云ふまでもなけれども勝敗は時の運にして或は敵艦の海岸近く來侵することなきを期す可らざる上は之を防ぐには是非とも砲臺の力に依らざるを得ずして然かも防禦の一點に於ては自から軍艦に優るの長所なきに非ず即ち砲臺には必要に厚き鐵板を裝ふて飽までも防御力を強くし砲座の如きは常に地上に安置して搖動するの患なく又彈藥の供給の如きも容易に窮乏を告げざる等の利益あるが故に若しも敷設水雷と相待て敵艦に對するときは如何に精鋭なる艦隊と雖も其砲臺の前を無事に通過して目的を達するは甚だ困難ならざるを得ず日清の戰爭に徴するも旅順口の如きは全く背面攻撃に由て目的を達し威海衛の陷落も亦自から陸軍の力を利したるが如き單に軍艦を以て砲臺に對するの容易ならざるを認む可し即ち各國ともに固定防禦として砲臺建設に力を用ふる所以にして我國に於ても東京灣を始めとして既に建設を終り又現に建設中のものあれども海岸の防禦を全うせんとするに就ては今後各要所に夫れ夫れ着手の必要を見ることならん而して其建築には地形の如何に由りて背面防禦にも注意すること自から肝要なりと知る可し敷設水雷は敵艦の侵入を防ぐが爲めに必要なる港灣海峽の水中に敷設して砲臺と相待て其用を爲す可きものなり若しも砲臺のみにして水雷の助なきときは敵艦は暗夜濃霧等の機會を利し若しくは甲板の堅牢を〓として容易に通過すること難からず之に對して砲臺の〓〓なきときは水雷は敵の爲め破壞除却せらる可し故に防禦の爲めには兩者その一を缺く可らざること勿論なれども本來是種の水雷は何れの海岸にも運搬自在にして且つ費用も多きを要せざるものなれば砲臺の設なき塲所に敷設して自から效用なきに非ず即ち敵艦は其敷設の塲所を認むるも自から手を下して之を破壞するか若しくは除却するに非ざれば容易に海岸に近づくを得ざるが故に其間には海陸の報知機關に由り敵の來侵を味方の艦隊に傳へて〓〓反撃の機會を得べければなり又望樓なるものは海岸通信の必要機關にして望樓手は終始樓上に見張りし電信に依て海上の消息を報告すると共に信號を以て海上の艦船と通信するの任務を盡すものなり本來鎭守府に屬するものなれども平時に於ては天候氣象の觀測、艦船の通過、難破船の報告等の用を辨じて效益少なからず左れば世界の海軍國にては何も海岸の要所に設置して常に之を利用する其中にも佛國に於ては殊に重きを置き毎年の海軍演習に之を試みるに其效著るしく二三十海里の外に在る軍艦の状態を明に認めて其視察の確なる報知艦巡洋艦も一歩を讓るものありと云ふ以上は前の移動防禦に引續き固定防禦の概略を述べたるものにして海岸防禦の必要は勿論なれども之を要するに敵の艦隊がいよいよ海岸に來侵して砲撃を試み以て上陸の目的を達せんとするは必ずや海戰の勝敗一决したる後の事にして自から第二段の塲合なれば其防禦を完成するの前に先づ海軍の勢力を目的の程度に擴張するの方針を取らざる可らず其前後緩急の別は當局者の苟めにも忘る可らざる所のものなり又序ながら附記す可きは砲臺管轄の問題なり現今我國の海岸砲臺は陸軍の所轄に歸すれども歐洲諸國に於ては移動固定の防禦共に一切擧て海軍に屬せしむるの例なるが如し盖し海岸の防禦は敵の軍艦に對するものにして自から海事に熟錬なる海軍軍人の手に歸せしむること實際の得策なるは無論又砲臺は水雷艇敷設水雷等と恊力して同一の防禦に當る可きものなれば砲臺のみ陸軍に屬して他を海軍の受持とするときは自から運動の一致を缺て或は軍機齟齬の不利も圖る可らずとの理由に出でたるものなる可し其利害得失は自から專門家の問題にして我輩の容易に言はざる所なれども今後軍備の進歩整理に隨て其問題も自から議論に上ることならん當局者の今より注意す可き所のものなり