「駐韓公使」
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時事新報に掲載された「駐韓公使」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
原駐韓公使は辭表を差出したる由なれども新公使は未だ定まらずして京城の我公使館には主人なきこと既に久し今や幸にして彼王國にも格別の變事なしと雖も國王還宮事件あり又鐵道問題などありて外交社會も自から多事なるのみならず元來朝鮮は噴火山の如くにして何時如何なる變あるやも測る可らず現に日清開戰の際我公使は悠悠閑日月を東京に樂む其留守中に東學黨蜂起して遂に大事件を生じたる前例もあることなれば一日も油斷す可らず恰も氣象學者が不斷天候に注意して暴風雨の襲來を警むるが如くすること肝要なる可し又譬へば朝鮮は猶ほ死に垂んたる大病人の如くにして我公使は恰も其主治醫の地位に立つものなれば假令ひ差當り頓死の徴候なしとするも片時も看護を怠る可らず常に患者の枕邊に侍して其經過を察し其脈を診し其熱の昇降を計りて病状を審にし藥を加■(にすい+「咸」)して只管快復を祈ると共に一朝變状を呈することあらば臨機應急の處置に當惑せざるの容易大切なる可し原公使は外交家として未だ格別の手■(てへん+「丙」)なしと雖も聞く所に據れば相應の伎倆ある人なりと云ふ其辭職は惜む可しと雖も是非とも辭するとならば致方なし只速に其後任を定めて■(つつみがまえ+「夕」)■(つつみがまえ+「夕」)渡韓せしむ可きのみ扨その後任を擇ぶに當り聊か注文したきは决して古風の人物を採らざるの一事なり前にも述べたる如く朝鮮は垂死の病人なり之を看護すること容易に非ず一匕の藥も其法を誤れば忽ち意外の變を生ずることなれば主治醫たらんものは十分文明の醫學に通じたるものならざる可らず漢方臭味の醫者は病理を知らず又藥劑の法を心得ざるが故に草根木皮を以て萬病を治せんと欲し胃病に風邪の藥を投じ虎列刺に下劑を與ふるが如き間違を犯して病氣をしてますます重からしむることあり殷鑑遠からず彼の王妃の不幸一條に徴して明白なれども近頃政府の採用する所を見るに往往意外の人物ありて駐韓公使の人撰に付ても自から心配なき能はず我輩の敢て一言する所以なり