「私設鐵道の許否」
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時事新報に掲載された「私設鐵道の許否」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
今度鐵道會議の開會に付き政府にては私設出願の許否に關して種種の説もありたれども結局目下出願中なる二百餘線の内、四十乃至五十を許すことに决して其方針を以て會議に諮詢す可しと云ふ或は二百餘の中より僅に四五十の許可とは餘り用心に過ぎて民業の發達を妨ぐるものなりとの説もあらんなれども實際の事情を聞けば自から尤もの次第と云はざるを得ず現に我輩の知る所にても今の出願者の中には最初より毛頭敷設の考はなく單に他の計畫を妨ぐるの目的にて願書を差出したるまでにして若し萬一にも許さるることあらば夫れこそ大變なりとて内内は自他双方共に出願の却下を希望しつつあるものさへもなきに非ず政府が如何に放任の主義なればとて斯る出願を許可するが如きは當局者の責任として斷じて能はざる所なる可し又一種の出願者は是れ又實際に敷設を目的とするものに非ず單に地圖に就て線路を畫き■(つつみがまえ+「夕」)■(つつみがまえ+「夕」)に設計の案を立つる其案は成る可く收益を大にして成る可く世間に吹聽し一旦許可の曉には忽ち權利株を賣却して自から利し所謂取退き無盡の筆法にして後は野と爲るも山と爲るも顧みずどの下心にて恰も企業賭博とも認む可きものなきに非ず現に財産家として世間に認められたる或る商人の如きは前後百何十の計畫に發起人の名を署しながら實際自家の金を投じて株主たるの實あるものは其中にて僅に二三の計畫に過ぎずとの談あり或は餘儀なく他に依頼せられて單に名義を假したるの事情もあることならん敢て其人に就て云云するに非ざれども兎に角に何十何百の計畫に一時に金を投ずるを得ざるは數に於て明白なれば若しも許可の上には其名義の株券は權利株として賣却するの一法あるのみ盖し今の所謂紳士紳商として各種の發起人に推さるる人の中には其外にも尚ほ斯る種類のものもあらんなれば假令ひ發起人の名前が立派なればとて容易に信ず可きに非ず當局者が責任を帶びてよくよく實地を調査したらば或は二百餘の出願中實際に許可して差支なき者は四五十に過ぎざるの事情を確めたるやも知る可らず物言へば唇寒し秋の風、漫に山師の賭博に取合ふて許可の言を發するときは唇寒きの後難は目前の事なれば斯る種類の出願は颯颯と門前拂して拒絶すること上分別なり責任者の處置として至極尤もの次第なれども我輩が爰に一言して敢て注意を望む所のものあるは外ならず請願却下の精神にして以上の考ならんには斷じて差支なしと雖も若しも然らず出願の儘に許すときは既成もしくは先順の線路と競爭を免かる可らずとて單に競爭の掛念より深切らしく取捨の手心を振はんとするに於ては我輩は斷じて反對せざるを得ず抑も今の鐵道の弊害は專有を專らにして競爭なきの一點に外ならず彼の東海道線路の如き世間に苦情の一方ならざるにも拘はらず著しき改良を〓〓〓〓ざるは會計法の規定窮屈にして事業の擴張を〓〓〓の〓情ありとは云ひながら其大〓〓は〓の一〓〓〓〓〓〓の競爭〓〓さざるが爲めにして若しも〓〓〓〓〓〓〓〓めたらば〓〓〓は即刻に〓〓せんのみ〓〓〓〓〓〓〓て見れば彼の山〓鐵道の如き他に比較すれ〓〓〓も〓に旅客貨物の取扱も丁寧にして苦情を耳にすること稀れなる其次第は同鐵道には内海船舶の競爭ありて寸時にても油斷するときは忽ち得意を奪はるるの掛念あるが故に其競爭に對して自から注意を怠らざるの結果に外ならざる其反對に日本鐵道會社の有樣を見れば東北一帶の地方は自から乘客荷物も多からずして萬事行屆く可き筈にてありながら實際には混雜澁滯を免かれざるのみか其役員驛夫の如き動もすれば横風の氣を帶びて乘客荷物を粗末にするの嫌あるが如き畢竟他に競爭の恐る可きものなきが爲めに知らず知らず斯る次第に立至りたるのみ官設と私設と比較し又その私設の中にても甲乙相對して斯くまでに相違の著しきは决して管理の人物如何に由るものに非ず同じ日本人にて同じ鐵道を取扱ふことなれば其營業の實際も別に相違はなき筈なれども只一方は專有にして他は競爭を免かれざるが爲めに自然に實際の有樣を異にするものにして日本の鐵道を西洋諸國に比較するときはますます其相違の甚だしきを認む可し目下我國鐵道の改良は颯颯と競爭線を許して相互に競爭の其中に自から改めしむるの一法あるのみにして其改良法は甚だ簡單なりと云ふ可し我輩は私設鐵道の許否に關して當局者が呉れ呉れも此一點に注意せんことを望むものなり