「海軍軍人の待遇」

last updated: 2021-08-22

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時事新報に掲載された「海軍軍人の待遇」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

西洋の海軍國を見るに官民共に軍人の待遇に心を用ふること一方ならず英國の如きは有名の海軍國にして其國柄の然らしむる所とは云ひながら其待遇の優遇なる我國人の想像に及ばざるものあり例へば英の政府にては何れの國の所屬たるを問はず軍艦に限りては酒煙草類の税を免除して商人をして廉價に賣渡さしめ又紳士豪商の輩は海軍々人と交際するを名譽とし内外人に拘はらず爭て歡待するの風にして現に濠洲に在る英人の如きは我練習艦の寄港する度ごとに夜會を開き盛宴を張り音樂など催ほして殆んど狂する許りに歡迎するは我軍人の常に氣の毒に思ふ所なりと云ふ彼の海軍國に於ては人民に海軍人優待の氣風斯くの如く盛なると同時に政府の待遇法も亦自から厚くして俸給の如きも他の職務に割合して豐なるは勿論、その昇進の法も特例を用ひて奬勵を怠らざるが如し(外國にては退職の將校にても特に功績の著しきもの又は社會に聲望の盛なるものは現役同樣昇進せしめて自から釣合を保つの例なるが如し英國の海軍中將コロム(Colomb)氏が大佐にて〓備と爲り退職中に中將に昇進したるが如き其一例にして宜しく參考す可き所なり)各國の例を見るに何れの海軍にても准士官より士官に進むの途を開て永年の間、兵役に服したる年功者を優遇する中にも伊太利の如きは此途よりして昇進したる士官を特に水兵出身將校と稱し其數現に百三十五人(内陸軍大尉相當のもの二十五人、同中少尉相當のもの各五十五人)ありて造船所、海兵團等の陸上勤務に限せりと云ふ我海軍に於ても自から是種の規定なきに非ざれども實際には全く空文にして未だ其例ありしを聞かず前號にも述べたる如く水兵の卒より下士に進み又下士より准士官に昇るに〓〓〓〓〓をのをの四個年(陸上勤務なれば五年と六〓〓〓〓で最少期〓とすれども是れは只文面上の規定〓〓〓〓〓より〓〓〓〓には少なくも十四五年〓〓〓〓〓〓ざる〓〓〓〓〓准士官に昇りて二十五圓の〓〓〓〓く可き下士の〓〓は下級十圓より上級二十圓に止まりて十數年間精勤勉強の結果僅に此薄給に過ぎずと云ふ准士官及び下士の輩が現役滿期の後、再役を志願するもの甚だ稀れなるも怪しむに足らず曾て或る一下士の述懐談なりと云ふを聞くに余は海軍に從事すること十二年僅に一下士官たるに過ぎざるに同時に郷里を出で陸軍に入りたる友人は既に士官の地位を得たり同郷人に對しても面目なき次第なり且つ余は此長年月間、一回も陸上勤務を命ぜられたることなし不幸も亦甚だしと云ふ可し此頃郷里の一人より海軍兵志願の旨にて相談を受けたるが余は直に返答を認めて海軍には立身の機會なし寧ろ目的を轉ずるの得策なるよしを告げたり云々と云へり以て其實情を知る可し左れば一には年功者を優遇し一には兵員の氣風を奬勵するの目的を以て彼の空文の規則を活用し陸上勤務、海岸防禦等には積年の熟練經驗を利用すること希望に堪へざる所なり又軍人の俸給增加の事に關しては我輩の曾て述べたる所あり今その一節を再記せんに

海軍人は陸軍人の如く平生家族と同棲し人生の最大快樂とも云ふ可き團欒共樂の便宜もなく常に勤務居所を轉ずるの必要あり又被服食料等の航海用品は普通の物よりも高價なる等の事情あり殊に危險の点を云へば海軍人の平生は恰も陸軍人の戰地に在るに異ならずして常に疾風暴雨怒濤狂瀾等天然の強敵と戰はざるを得ず又責任の輕重を云へば一萬何千噸の主戰艦に艦長として乗組員六七百名を率ゐる大佐の責任は千名の士卒に長たる聯隊長に比して如何なる相違あるや一萬噸以上の巨艦の存亡は國力に關係あるのみならず艦長たる身分は其佐官たり尉官たるに論なく時としては一國を代表して其處置擧動の如何は國際問題とも爲り開戰の端緒とも爲るの塲合なきに非ず又學術の上より云へば海軍人に學術の熟達を要するは無論にして即ち陸兵は六個月間の訓練にして稍や差支なけれども水兵は二個年の後に非ざれば用を爲さず陸軍士官は卒業後三個年にして充分隊務に慣るれども海軍士官が艦長の信任を得て航海中當直士官たるを得るは大尉と爲りて五年の後即ち卒業後十一個年の後なりとす云々

勤勞に割合して報酬の多きを望むは一般の人情如何ともす可らず若しも海軍人の俸給にして永く今日の儘に差置くときは有爲の軍人は次第に海軍を去りて他の業に就くこと自然の勢なり殊に今後大に注意す可き一事は航海奬勵法の實施に付き我航海業は遽に振起の運に向ひ續々海外の航海を企てゝ何れも海員の不足を訴ふる其不足は即ち海軍人を他に需用するの道を開くものにして人心報酬の多きに向ふは恰も水の低きに就くが如し人々海軍籍に入るを好まずして他に方向を轉じ軍艦はたひたひ竣工するも乗組員に缺乏を告ぐる如き成行なしとも云ふ可らず云々(本年四月二十三日の社説)

盖し俸給の多少を云々するが如きは軍人の素志に非ざる可しと雖も自家の名譽と共に勤勞に相應する報酬を望むは一般人情の常なり前論に述べたる所、既に充分なりとして敢て多言せず我輩は只今日に際し國民が此點に就て大に考ふる所あらんことを希望するものなり