「今の政黨は何の爲めに爭ふか」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「今の政黨は何の爲めに爭ふか」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

政黨の公爭は立憲政治に免かる可らざるの成行なれども其爭は主義の爲めのみ苟も主義以外に爭ふものは取りも直さず私爭と認む可きものにして之を目するに政黨の名を以てす可らず西洋諸國の例を見るに英國には古來保守自由の兩政黨あり甲は舊慣古例を重んじ乙は改良進歩を主とし互に主義を殊にして互に相對立せり今日に至りては歳月の經過と共に其主義も自から變遷して往昔の區別を見ざるが如しと雖も一方は自から對外の政略に力を專にする其反對に一方は自から内政の改新に心を用ふるの事實は何人も認むる所にして今の英國の政黨は内治外交の主義を以て公然相爭ふものと云ふ可し又米國の合衆共和の兩黨も自から主義を殊にして例へば今回大統領の撰擧競爭に双方相對して金銀の論を爭ひたるが如き明に主義の爭と認む可きものにして彼の國國に於て政黨の爭點は全く主義の如何に在るの事實を知る可し目下我國の政界にて自由黨と云ひ進歩黨と云ひ互に相對立して互に相爭ふ其爭は如何と云ふに過般内閣の更迭以來自由黨は前内閣に結托云云の行掛りより現内閣に反對し進歩黨は現内閣の組織に力を致したるの縁故を以て前内閣の非を擧げて〓〓〓〓〓水火氷〓も〓〓らず然かも其〓〓〓〓なる〓〓に〓〓を低くして論〓を心身〓〓の〓に〓〓或は〓〓を〓り〓は金銀〓〓〓〓など直接に〓を〓して〓に〓〓〓て罵詈讒〓を恣にする其目的の所在を尋ねたらば只その所好に阿ねりて其處〓に反對し以て自から利せんとするの外に理由はなかる可し如何となれば若しも前後の内閣を比較して双方に主義の相違もあらんには其主義を同うするが爲めに進退去就を共にして互に相爭ふは自から政黨の事なれども我輩の所見を以てすれば其前後の主義に如何なる相違をも發見すること能はざればなり前内閣の時には總理は伊藤、内外務の當局は板垣陸奧の二人なりしに今度の總理は松方、内外務は樺山大隈の二人にして更迭と共に人の變りたるは事實なれども扨伊藤と松方と比較し又板垣陸奧と樺山大隈と比較して政治の主義に何程の差違あるや是等の諸人は出身の前後、文武の相違はあれども等しく明治政府の長老にして年來その方向を共にしたるは無論現に松方の如きは前内閣の一員として伊藤と事を同うしたることさへあり又大隈は久しく民間に在りて自から政府に反對の説もありたれども本來は伊藤と同功一體の人物にして如何なる點より見るも决して異主義のものとは認む可らざるに然るに今の政黨の輩が強ひて前後を區別して双方に立分れ互に非難攻撃するとは更に解す可らず或は伊藤は長州出身にして其閣員には長州臭味のもの少なからざりし其反對に今回の内閣は松方を始めとして薩州出身の輩多きが故に前内閣に縁故の政黨は現内閣を目するに薩摩内閣を以てして之に反對し現内閣を助くるものは長州征伐など稱して前閣員を攻撃せんとするが如き此一點より見るときは彼の政黨の輩は薩長の羽翼と爲りて藩閥の維持を謀るものなりと云はるるも辯解の辭はなかる可し政黨の本色果して何くに在るや目下の有樣を見れば政黨の爭は决して主義の爲めに非ず政府の地位を私有財産と認めて互に其得喪を爭ひ以て私利を謀らんとするに外ならず言語道斷の擧動にこそあれ本來政府は國民全體の政府にして其當局者は國家の公役を務むるものなれば其地位に當りて自家の所見を行ふには眼中ただ國利の一點のみを見る可き筈なるに恰も之を私有視して私利の爲めに其得喪を爭ふは恰も二匹の猿が一個の柿を爭ひ只管これを攫取らんとして其大小熟否を問はず遂には爭ふ所の柿に疵付くをも忘るるものの如し柿の實ならんには猿の爭に任せて孰れの手に落つるも差支なけれども國家の公役なる政府の地位を柿の如くに見て攫取の醜爭を演ずるとは取りも直さず政治賭博を行ふものにして其輩の淺墓さ加■(にすい+「咸」)は只一笑に付して止む可きも國民全體の迷惑は此上ある可らず我輩の傍觀に堪へざる所なり彼の朝鮮支那の如き例へば閔氏が朝廷に立つも趙姓が國柄を執るも朝鮮人民は之が爲めに喜憂するものなく又李鴻章が勢を失ふて翁同■(やく+「禾」)の一派が權力を得たりと云ふも支那人が毫も痛痒を感ぜざるは畢竟その國國に於ては政治家が政權を私有して人民の利害に頓着せざるが為めのみ政黨の擧動にして今日の如くならんには日本の政治も朝鮮支那と大同小異にして國政の★改★進は到底見る可らず立憲國政黨の眞面目は果して斯くの如きものなるや否なや苟も政黨たらんものは國家的利益を第一にして内外に對して其利益を増進するには云云の〓〓なかる可らず否な云云の施設こそ大切なれとて右にも左にも兎に角に自家の主義を實にせんが爲めに政府の地位を得んとして互に私爭ふこそ其本色なれ主義の相違の爲めに論難攻撃は敢て差支なしと雖も今の政黨は曾て自家の主義を公言せず只前後の内閣を目的として互に相反對する其前後の施政に如何なる相違ありやと尋ぬれば毫も區別の認む可きものなしと云ふ我輩の甚だ解せざる所なり例へば新聞紙發行停止の事件の如きも當局者は曾て言論自由の方針を約束しながら自から其約束を反故にしたりとて其違約を咎むるの議論は喧しかりしも本來新聞紙の發行停止は果して國家の爲めに利なるや害なるやとの根本の利害論には寧ろ重きを置かざるが如き畢竟主義の爭に非ざる證據として見る可し其爭は尚ほ未だ政黨の公爭と認む可らざるなり左れば政黨の人人にして果して國家の利益を謀るの考ならんには先づ主義を明白にして其主義に會ふものは味方と爲し合はざるものは敵と認めて主義の如何に由て去就を决す可し斯く决斷して扨政界を眺めたらば局面全く一新して或は自由黨の中にも去て現政府を助くるものあると同時に進歩黨の中にも擧動を一變して反對に立つものもある可し其進退は公明正大、昨非今是ただ是れ主義の爲めにして毫も憚かる所はある可らず斯くの如くにして始めて立憲政の本色を見る可きなれども若しも然らず今日の儘に改めずして國家の利益を外にして單に私利の爭を爭ふものならんには我輩は政黨も藩閥も五十歩百歩、孰れも立憲政治の風に合はざるものとして共共に之を排斥せんとするものなり