「海軍思想を養ふ可し」
このページについて
時事新報に掲載された「海軍思想を養ふ可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
海軍思想を養ふ可し
海軍を軍備の主位に置き日本をして眞實海軍國たらしめんとするには國民に海軍の思想を普及せしめて全體の好尚氣風を此の一方に向はしむること肝要なり英國などの有樣を見るに軍人の榮譽面目は恰も海軍に集まるものゝ如くにして靑年の輩にして軍人たらんとするものは何れも海軍士官たるを願はざるはなし全國の氣風にして世界第一の海軍國を以て自から任ずるも自から偶然ならざる其反對に我國の現状を如何と云ふに世閒普通の考に軍人と云へば專ら陸軍に注目して他を顧みず例へば兒童輩の遊戲、戰爭の眞似事にも自から陸軍大將など稱するの常にして又その帽子なども陸軍の制に擬するもの多きが如き畢竟海軍思想の普及せざるが爲めに外ならざれば國民の好尚氣風を奬勵誘導すること最も肝要なりと知る可し其工風一にして足らざれども試に我輩の所見を述ぶれば
海軍の擴張は帝室の奬勵を仰ぐこと第一なり、我天皇陛下には夙に海陸軍の大元帥として軍事に御心を用ひさせらるゝは一般臣民の威佩し奉る所にして今更ら申す迄もなけれども大元帥の御資格にて海軍に臨ませらるゝ折は勿論その他の御場合にも海軍の御服裝を用ひさせらるゝは歐洲諸國の帝室にも其例あることにして竊に希望し奉る所なり又皇太子殿下に於かせられても陸軍將校に任ぜらるゝと同時に海軍將校を御兼任遊ばさるゝことゝ爲し從て東宮武官の如きは海陸に兩將校より任命ある可く又陸軍の觀兵式と同樣、折り折り海軍の觀艦式を擧行せられんこと是れ又希望に堪へざる所なり
今の官私立の專門學校は其數甚だ多きにも拘はらず實際に海軍の敎育を目的とするものは海軍部内の學校の外、僅に商戰學校あるに過ぎず遺憾なりと云ふ可し海軍思想を養成するには人民の敎育に意を用ふること第一なれば我輩の前に述べたる如く海軍兵學校の如きは東京もしくは其附近便宜の地に移して一般の便利に供するは勿論、其他海軍の敎育に關する專門の學校には特典を與へて之を奬勵し又各地の師範學校中學校を始め小學校に至るまでも陸の兵式體操と同樣、海軍に關する一科を設けて幾分か海軍的の智識を得せしめ殊に中學の卒業生の如きは一二學科の外は無試驗にて兵學校に入るの〓徑を開く可し圖書の出版も敎育に等しく思想の普及に肝要のものなれば大に之を奬勵して其發行を盛にするの工風を施す可し例へば近來出版したる海軍圖戰海戰書帖等の類は費用を幇助して廉價に販賣し一般の購讀に便ならしめ又海外にて發兌したる有益の著書雜誌の如きは之を翻譯して出版し又は新聞紙に掲載せしむる中にも日淸戰爭の海戰史等は最も有益のものなれば速に圖書刊行し或は是の及ばざる處は之を論書に移して一般の注意を惹くが爲めにはパノラマ展示の繪圖も妙なる可し又海軍將校の一族は成る可く處々の公會に出席して建説會話を試み又その所見を新聞雑誌等に公にして智識を〓布するの工風を勉む可きものなり
〓〓軍艦にては〓〓〓〓〓〓なるものを開設し〓〓の〓〓、標本、繪畫、寫眞等を陳列して公衆の縱覽に供するの趣向あり實物敎育に由て海軍思想を養成する適切の方法にこそあれば我國にても時々これを催ほして軍艦商船の模型を始め大砲、水雷、機關、艤裝品等より海軍に關係ある寫眞、繪圖、遺物等を陳列すべし例へば日本の海軍に於て最始の軍艦なる咸臨丸の模型、我國古來艦船の沿革圖、日淸海戰の繪圖、寫眞遺物の如き又最近最新の軍艦兵器の雛形の如き公衆をして智識を得せしむると同時に興味を感ぜしめて廣く海軍思想を養成するに最も效能ある可し
其他尚ほ種々の工風もあらんなれども英國の如く一般の社會として海軍軍人を羨ましむるまでの氣風を養はんとするには主として其軍人に名譽を與へざる可らず即ち俸給を豐にして待遇を渥くするは素より必要なれども日本の如き海軍を重んず可き國柄にてありながら故らに陸海軍など唱へて海軍の地位を陸軍の次に列するが如きは事、些細なるに似たれども一般の感情に於ては自から其閒に輕重を分つの意味なきに非ざれば既に海軍を主とする上は其順序も陸軍の上に置て特に之を重んずるの意を示すが如き亦是れ海軍思想を喚起するの一法たる可しと信ずるものなり