「新人物の登用」
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時事新報に掲載された「新人物の登用」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
新人物の登用
年來内閣員の更迭は度々にして其政府は何れも人材を登用して政府を刷新す可しと云はざるはなし而して官吏の交代は實際甚だ頻繁なれども出る者も入る者も相變らずの人物にして其閒に新顏の人を見るは殆んど稀なり或は地方廳より中央政府に入り或は中央政府より地方廳に出で又は甲の府縣より乙の府縣に轉任すること即ち所謂官吏の交代にして偶々新に採用することあるも大抵は嘗て某省若しくは某廳に奉職したるものにして純粹なる民閒人士を採用したることなきは何故なるや幸にして野に遺賢なく政府の役人は皆當世の俊才にして文明の政務を處理するに適したる人物ならんには右の如くにても敢て差支なしと雖も實際官吏中には古臭き人物も少なからず頭は散髮にして身には洋服を纏へども思想は尚ほ支那流儀を脱せずして動もすれば儒敎主義を以て民を治めんとするものあると同時に民閒を見れば文明流の敎育を受けて今日の事態に通じ多年政界に奔走して相應の名聲を博し政治の事は甘酸共に嘗め盡くして其腕前慥なる者なきに非ず何故に政府は此輩を採用して其面目を一新せざるか蓋し大臣の地位には限ありて此輩を容るゝの餘地なく次官局長などは事務官にして内閣の更迭と共に其人を代ふ可らず今日進歩黨の筋にて政權を得たればとて從來の官吏を免職して代ふるにその黨員を以てせば後日他黨の人が時を得たるときは同じくその黨員を採用して前任者を排斥し遂に黨爭の影響を政治の全面に波及せしむるの憂ある可しとて扨は遠慮して用ひたき人物も態と用ひざることならん尤も至極の次第にして大臣の更迭と共に政府全體の動搖は好ましからぬ事なれども今は政界變遷の時代にして既に政黨と事を共にするに非ざれば内閣も維持す可らざる程の勢いなれば政黨員の中より人物を採用するに不思議はある可らず一方に於て政府は人物の拂底に窮し一次官が辭職すれば容易に其後任を得ず一公使が其任を去れば何時までも空位を充す能はざるに他の一方を見れば自から當世向きの人物に乏しからず一たび實際に政務を料理して其腕前を示さんと竊に時機の至るを待つものあり恰も互に思ひ思はれながら只その政黨員たるの故を以て用ふること能はずとは如何にも窮屈千萬に非ずや政黨員なるが故にとて其技倆如何を問はず授くるに官を以てせんとするは固より不可なれども政黨員なるが故に人物は宜しけれども用ひずと云ふも亦不可なり或は民閒の政客は官吏として經驗なきが故に採用すること能はずと云はんか何人も初めより經驗のある可き筈なし官吏の經驗は官吏となりて後に出來るものにして今の官吏も生れながらにして官吏の經驗ありしに非ざるは勿論のことなり若しも經驗なきが故に用ふること能はずと云はゞ民閒の政客は終身官吏と爲ること能はず官吏も遠からず種切れと爲ることならん特に内閣更迭の餘波を次官以下の事務官にまで及ぼすは不可なりと云ふと雖も今日にても内閣が替れば長官、局長、地方官、書記官、公私等に多少の交代もあるの常なれば味方の政黨員中より人物を採用すればとて事の實際に著るしき相違はある可らず要は只その人の才能如何を視るのみ更に一歩を進めて論ずれば藩閥の長老も既に老して前途長からず或は既に政界の劇務に堪へざるものもある可く或は時勢後れの人と爲りしもある可し此時に當りて其繼續者を定むるは至當の事にして或は第二流三流の藩閥人士を以て政府を組織するをもある可しと雖も元老の威望を以てするも尚ほ且つ政黨員の力を借らざれば立つこと能はざるの今日に於て二流三流の藩閥人士のみを以て内閣を作らんこと思ひも寄らざる所なれば今の政黨員中の重なる人々は何れ遠からず大臣の列に加はる可きや明白なり運命既に斯くと定まりたる上は今より其覺悟にて事を處し民閒より新人物を採用して次官なり局長なり地方長官なり將た公使なり夫れ夫れ其器に應じて相當の官に就かしめ自然に其地位を高め其身分を重くして後日の用意を爲すこそ智者の計なれ元老既に老いて後進の士、地位未だ高からず木に接ぐに竹を以てするが如き變化を見るは政界の慶事に非ざるなり