「放免囚徒の始末」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「放免囚徒の始末」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

放免囚徒の始末

今回の減刑に依て囚徒の放免せられしもの殆んど一萬六千人にして中には聖恩の有難きに

感泣して良民と化するものもある可しと雖も盡く然る可しとは思はれず籠の鳥放たれて方

向に迷ひ心ならずも道を踏み外すもある可く或は生來の惡習洗はんと欲して洗ふ能はず再

び惡念の驅る所と爲るもある可し明治二十七年中重輕罪者の處刑は合計十四萬六千五百餘

人にして内初犯は九萬六千八百餘人、再犯以上の者四萬九千七百餘人なり其獄中に在りし

ときは具に艱苦を甞めたることならん又屡々僧侶の説敎をも聽きたることならんに尚ほ斯

の如く再犯以上の者初犯者の半數以上を占むるを見れば一たび惡習に染みたるものゝ遷善

容易ならざるを知る可し然るに今若し恩典に浴したるものにして悔悟するもの少なく再び

惡事を働くもの多からんには折角の聖意を空うするのみならず社會の公安を維持する上に

於て容易ならざることなれば其筋に於ては相當の工夫ある可き筈なれども格別の考案もな

きものと見え只地方官に向て一片の訓令を發したるのみ盖し放免囚徒の始末は平生に於て

も志士仁人の苦心する所にして未だ名案を得ざることなれば今日の塲合に於ても特に良策

ある可しとも思はれず彼等の罪を犯すは多く貧窮より出づるものなればとて一時衣食の資

を其筋より給與せんか放免すら既に莫大の恩惠なるに此上金錢を施すは恩を叨りにするも

のにして慈善を以て正道を蹂躙するの譏を免れざるのみならず與へたる錢は酒食の資と爲

りて數日の後には又依然たる元の丸裸たる可し左れば何か仕事を求めて業を授けんかと云

ふに是迄の如く商工業の勃興甚だ盛にして臺灣などにても多くの人夫を要する時ならんに

は業を見出すこと或は難からざる可しと雖も今は世間稍々不景氣を催ほして人を要するこ

と自から多からず特に無頼者は眞面目に規則正しく務に服するを好まざるの常にして從前

既に此種の者を試用したる例なきに非ざれども生來徹骨の懶惰にして永く辛抱するもの甚

だ少なしと云ふ生業に就かしむ可しとの内務大臣の訓令も實際に効を奏すること少なかる

可き歟左れば彼等の始末は何人も窮する所にして名案なきも無理ならざれども萬一にも之

が爲めに世の不安を來すこともあらば當局者に於て申譯なき次第なれば切めては警察の注

意にても一層嚴密にして彼等をして惡事を働くに餘地なく生業に就くの外生活の道なから

しめんこと切に希望する所なり