「重役の人撰」
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時事新報に掲載された「重役の人撰」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
重役の人撰
在大阪堀井卯之助稿
此程本紙にて論じたる企業家と銀行家とを區別するの一事は大阪の實業社會に於て殊に必
要を認むる所なれども今、遽に其區別を判然たらしむるは實際に容易ならず我輩は親しく
當地の事情に徴し先づ事の順序として銀行會社の實務に當る可き支配人以下の役員人撰に
就て特に注意を望まんとするものなり元來大阪の實業界に於て諸種の發起計畫に從事する
ものは僅々の數に過ぎず而して如何なる事業も是種の人々の手を假らざれば成立を見る能
はざるの勢にして成立の曉には隨て其人々を重役に推すの風なるが故に一人にして數種の
事業に關係するもの自から多からざるを得ず今の世間に所謂重役問屋の名を博すもの少な
からずと雖も特に大阪に甚だしきを見る所以なり斯る次第にして一人にて幾多の銀行會社
を監理するは固より能くせざる所なれば表面の名義は兎も角も實際の事務に當らしむ可き
支配人以下に就て人撰を重んじ相當の學識經驗ある人物を用ひて重任を托するの必要ある
にも拘はらず何れの銀行會社にても役員を用ふるには只給料の安きを專一にして人物の如
何は左までに意に介せざるものゝ如し當地の實業家一般の説なりと云ふを聞くに工業上の
技術は素人に望む可らざるものなれば技師を雇ふには大に注意して給料の如きは敢て多寡
を問はずと雖も普通の營業事務に至りては如何なる人物にても實際に格別の相違なし學識
經驗のある職は給料の高きのみならず氣位も亦高くして寧ろ營業の邪魔物たるに過ぎず
云々と放言して疑はざるもの多し驚入たる談ならずや現に此程京都の或る銀行は支配人の
失策の爲めに非常の損害を蒙りたるが其支配人の月給を聞けば僅に二十五圓なりしと云へ
り月給二十五圓の人物に支配人の大任を托したるは畢竟重役の心得違ひにして其失策の源
は本來その人物を用ひたるものゝ過失と云はざるを得ず是れは京都の話なれども試に大阪
の實際を見るに銀行會社の役員なるものは多くは丁稚上りのものにして多少にても學問知
識ある人物は殆んど見る可らず自家の財産を注入して利害の關係、最も大切なる事業を支
配せしむるに斯る不安心の人物を以てする其上に重役の輩は例の如く種々雜多の事業を兼
帶して專ら監督の暇なしと云ふ株主又は資本主たるものゝ大に考ふべき所にして資本の小
にして収益の少きものは致方なけれども相應の事業にして相應の利益ある營業に相應の人
物を撰んで責任を托するは自家の利害に訴へて必要の處置なる可し或は今の銀行會社の如
き現在の役員にても相當の利害を見るに難からず眼前の必要なきに高き人物を用ふるは單
に利益を殺ぐに過ぎずと云はんかなれ共薄給の雇員は平素の生活も自から不自由なるが爲
め假令ひ擔任の事業に對しては別に不親切の意なきも竊に他の投機商賣などに手を出して
本業に專らならざるより現に利す可きの利を利せざるのみか〓外の破綻を〓はして非常の
思惑を〓ぐの掛念なきに非ず〓に今後の〓〓營業は次第に〓〓を催ほして〓〓入込み〓る
事情なきに際會するときは苟も學問知識の〓に非ざれば之を處理すること容易ならず况ん
や實際に重役の輩は自から事の〓に當るを得ずして一切の事務を役員に托するの塲合に於
ては是非とも給料を高くして人物を撰ぶの必要なきを得ず我輩は先づ取り敢へず此點に就
て大阪實業家の注意を望むものなり