「放免囚と宗敎家」
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時事新報に掲載された「放免囚と宗敎家」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
放免囚と宗敎家
放免囚の始末の困難なるは前日も記したる通りにして到底官邊の手を以て救ふ可きに非ず
昨今彼の恩賜金四十萬圓の内を以て之を救護す可しとの説もあるよしなれども減刑の一事
既に無上の恩惠なるに此上賜金を給するが如きは分に過ぎたる沙汰にして獨り囚人に厚き
の感を免れず特に官の手を以てすれば人々の事情に應じて取扱を異にすること能はざるを
以て其効能も案外少なかる可し左れば之を如何にす可きやと云ふに此上は世の慈善家特に
宗敎家に依頼せんと欲するものなり盖し宗敎の盛衰は宗敎其物の性質よりも寧ろ僧侶敎師
の社會に與ふる功德如何に因るものにして單に説敎のみを以て衆生を濟度す可きに非ず古
の名僧智識が法を説くと共に社會公共の事に盡力し或は道路を開き橋梁を架し又は殖産の
事までも心配したるは之が爲めにして耶蘇敎の事までも心配したるは之が爲めにして耶蘇
敎の人々も此に見る所あるか慈善の事は自から度外視せざるが如し或は病院を開て醫藥を
施し或は學校を設けて貧子弟を敎へ或は孤兒を拾ひ擧げて養育し又は古衣の類を慈善家よ
り貰ひ集めて窮民に給するなど人を感ぜしむるの擧少なからず現に今回放免の囚人に就て
も内〓名を引受けて再び罪を免さゞる樣世話するものありと云ふ然るに佛敎徒を見れば常
に安閑として此類の事に心を傾くるもの殆んど皆無なるが如し朝夕佛像の前に自分にも解
らぬ經を讀み葬式に臨みてお布施を貰ふが平生の役目にして偶々天災地變にて非常の死者
あれば追弔會を營む事あるに過ぎず孤兒飢に泣き窮民寒に叫ぶも殆んど知らざるが如くに
して學校を開て貧兒を世話する者もなく病院孤兒院養老院の如きものを起して功德を施す
者もなし耶蘇敎は新來の客にして勢甚だ振はず僅に社會の一隅に寄食するものなるに反し
て佛敎は殆んど滿天下を押領し至る所信徒ならざるはなし一たび手を擧て唱道せんには幾
百萬の資金も立ろに集まるの勢なるに慈善事業に於て曾て觀る可きものなく却て微々たる
耶蘇敎徒に及ばざるは何ぞや多年の全盛に腐敗したるが爲めにして腐敗者は到底永く維持
す可らず德川の末路に當りて其外觀甚だ盛にして洋學者流の不平の如きは蟷螂の斧に過ぎ
ざりしに革命に火は何日しか縁の下に廻はりて三百年の覇業は一朝にして灰燼と爲りぬ宗
敎と政治とは兒から趣を異にすれども一方が太平の夢を貪て〓たざる間に他は孜々として
功を積み德を累ぬれば遂に主客地位を異にせざるを得ず今回放免の囚徒の如きは宗教家の
宜ろしく意を致す可き好問題にして此まゝに打捨置けば再び罪を犯すの虞あり左ればとて
官邊の手を以て始末す可き性質のものに非ず佛敎徒にして若しも少しく奮發して一方に於
ては之を救護して再び罪を犯すの〓〓なからしむると共に他の一〓に就ては之を感化して
〓〓〓に於ても〓人たらしめ〓〓〓〓は〓甚だ大なる可し〓〓〓〓の〓〓にも又世間〓〓
の爲めにも宗敎家に向て我輩の切に希望する所なり