「露清韓駐在公使」
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時事新報に掲載された「露清韓駐在公使」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
露清韓駐在公使
今回林駐清公使は駐露公使に轉じたりと云ふ氏は戰爭中外務次官として直接に外交の事に
當り戰後出でて清國に使し通商條約を締結したるのみならず彼の製造税問題に就ては活溌
機敏に運動して當局者が命を傳へしより僅々數實の間に成功したりと傳ふるほどなれば其
露國公使に榮轉したるは偶然に非ずして世人も其人を得たるに滿足することならん次に駐
韓公使は加藤增雄氏と定まりし由氏は外交官として經驗に富み特に朝鮮の事情に通ずる人
なれば亦相應の人物を得たりとして殘るは獨り駐清公使の任命なり是れも速に决定せられ
んことを望む其次第は今日東洋の外交は特に多事なりと云ふに非ず暫く其椅子を空うすれ
ばとて事の實際に妨なしとするも任命す可きものを任命せず二箇月も三箇月も其儘に捨置
けば當局者は外交に冷淡なるか但しは甚だ生地なくして適任の人物を得ること能は坐るが
爲めならんと疑はるゝは勿論にしてツマリ政府の威信にも關す可し特に今の政府は頗る外
交を重んずるものにして墨西哥、伯剌西爾、暹羅、布哇の四箇國に公使館を新設しシカゴ、
シドニー、アントワープ、牛莊の四箇所に領事館を創設せんとするほどの次第なれば外交
官の任命の如きも成る可く迅速にして世の疑を避くること肝要なり况して駐清公使の不在
は事の實際に不都合なしと云ふ可らず元來支那人の神經は鈍しと雖もアレほどの大戰爭を
戰ふて散々に苦められし今日に於ては其感情の我に對して未だ融和せざるものあるは當然
にして自から外交上不如意の一原因ともなる可き次第なれば此時に際し直接に事に當りて
萬般の圓滑を謀る者は公使より外ならず一日も其椅子を空うす可らざるなり且又支那は實
に世界禍機の伏する所にして各國は寸時も注目を怠らず特に北隣の強國の如きは苦心慘憺
日々に侵入して或は其國債を保證し或は鐵道を敷き或は銀行を設立する抔計畫百端至らざ
る所なし英國も亦座視傍觀するものに非ず汲々として經營に怠りなきは勿論にして去る十
六日發の北京電報は突如として報じて云く今度英清間に新約條を締結し清國は關西の五州
を開き雲南省と緬甸との境界を定め且つワイルドワン山以北の地を英國に讓與したりと文
簡にして委細の情を知り難しと雖も兎に角に對清外交の無事ならざるを察するに足る可し
此間に處して我は安閑として傍觀す可らず彼の老大國が世界の問題と爲るは到底免る可ら
ざる運命ならんなれども其時運をして急ならしめたるものは實に我日本なれば今後の運動
に於ても我は先陣に立たざる可らず駐清公使の任命速ならんこと我輩の當局者に望む所な
り