「增税の决斷如何」
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本文
增税の决斷如何
軍備擴張は支那より収め得たる償金を當にするものにして恰も賭博に勝ちたる金を遣ふに
異ならず散財法の富を得たるものなれども扨巨額の臨時費を支出して軍艦兵隊を造りたる
處にて其始末は如何す可きやと云ふに單に一時の散財にして金の盡ると同時に止むものな
れば後に心配はなけれども軍備擴張は實際の必要に出でたる計畫にして例へば軍艦の二十
何萬噸は將來に於て增すことあるも減ず可らず又陸軍の常備兵何十萬も同樣の次第にして
塲合に由ては寧ろ擴張の一方あるのみなれば今後の經常費は次第に增加せざるを得ず明白
の數にして其後を善くするは增税の外に手段なかる可し或は貴族院の邊などには軍備擴張
の過大を云々して總額の中より三千萬圓を削減す可しとの説あり既に其精神にて上奏案の
提出さへ試みたる程の次第にして近日の豫算會に於ては〓議を見ることならんと云ふ一千
萬圓の削減とは如何なる費目に於てする積りなるや苟も歳計の豫算を動かすには一方に減
ずる所あれば一方に增す所もある可し費目を移動變化するには自から一定の所見ある可き
筈なるに其邊の事は甚だ分明ならずして唯〓〓の經費中より三千萬圓を削る可しと云ふ之
を喩えへば建坪何百坪の大普請に其柱を三十本丈け儉約せよと命ずるに異ならず賭博に勝
つか又は無理な借金して俄に家の普請とは行末の目的もなく甚だ心得難きことにして其削
減儉約は至極尤もなる次第なれども唯大袈裟に三千萬圓云々とは之を實地の數字談として
聞く可らざるものゝ如し然かのみならず假りに此削減説が多數の同意を得て貴院を通過す
ることもあらんには其成行は如何なる可きやと云ふに衆院との折合を得るは到底覺束なく
して兩院協議の結果は無論、豫算の不成立に終らざるを得ず果して不成立の曉には一般の
施設は前年度の豫算に由て行ふの外なけれども若しも然るときは軍備擴張の如き全く中止
せざるを得ず實際に許さゞる所なれば政府は止むを得ず其計畫を斷行して議會に對して事
後承諾を求むるの處置に出ることならん實際に致方なけれども抑も事後承諾は何か緊急の
塲合に際し萬々止むを得ざるの處置にして憲法政治の本色に非ず深く謹しむ可きものなる
に豫算の不成立を知りつゝ強ひて削減を行はんとするは議會自から憲法の神聖を無視する
ものにして斷じて取らざる所なれば削減の利害は兎も角もとして今度は發議を見合するこ
と至當なる可し我輩の敢て忠告する所なれども扨今後の始末は如何す可きやと云ふに削減
などは思ひ寄らざるのみか前號に述べたる如く公債募集の手段に依頼して目前の安を偸む
が如きは後世子孫に難きを讓るの姑息法にこそあれば政府は斷然增税の覺悟を取らざる可
らず而して增税は差當り清酒税より始む可きこと是れ又前に述べたる所にして本來我輩の
所見を以てすれば今の税率を二倍三倍に高むるも差支なきを信ずるものなれども昨年の改
正に從來四圓のものを七圓に增したるのみにして未だ一回も新税を収めたることさへなき
に更らに非常の改正は恰も不意打を行ふものにして營業者を保護する所以の道に非ざれば
今回は先づ其七圓を十圓内外に進めて穩なる可し假りに新税を一石十圓と計算し七に三を
加へて四百萬石の釀造高に於ては僅に千二百萬圓の增額を得るに過ぎず政府の収入上には
格別の多きを見ざるが如しと雖も是れは本來の目的を行ふが爲めの準備にして之を手始め
として今後次第に税率を進め遂に頂上に達するの决心を公にするまでのことなり斯くて營
業者をして其税率に對するの用意を爲さしむるは無論、又一方に於ては酒造家に增税を負
擔せしむる其代りに政府に於て飽くまでも營業保護の手段を盡すは之れ又增税の準備とし
て今日より始む可きものなり即ち第一に自家用酒の製造を禁じ其取締を嚴密にして清酒の
販路を保護し第二には濁酒並に燒酎の税を低くし其製造販賣を廣くして清酒を飮むこと能
はざる下等社會に廉價の飮料を得せしむるの道を開き第三には税法を改良して納税の期限
を緩にし収税吏には給料を厭はずして高尚の人物を撰み營業者の事情を酌んで納税の便を
謀るが如き何れも增税の準備として差當り行ふ可き要件にこそあれば政府は須らく今度の
議會に清酒税率の改正と共に是種の方案を提出して以て後來增税の〓を開く可し政府の方
針ここに一决し國家現在の費用は現在の國民に負擔せしめて苟も姑息偸安の窮策に依らず
との精神を示したらんには彼の歳費削減論者も始めて安心するを得べし政府の威信威嚴な
ど云ふは唯此種の英斷如何に在て存するのみ優柔不斷の空威張りは以て政權を維持するに
足らざるなり閉會の期日もおひおひ切迫の際なれば速に議を决して實行せざる可らず今日
の塲合に際しながら尚ほ其决斷なきに於ては我輩は今の政府を以て共に國家の經費を語る
に足らざるものとして望を絶たんとするものなり