「東本願寺騒動の始末」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「東本願寺騒動の始末」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

東本願寺騒動の始末

東本願寺改革の氣焔はますます熾にして容易に靜まる可しとも思はれず事の發端は同派の

學校に於て本山の改革を唱へ一同退學を命ぜられしより起りしものにして是等の發頭人は

末寺末派に氣脈を通じて檄を飛ばし遊説を試み專ら宗内各寺の奮起を促したる爲め火の手

は忽ち四方に擴がりて此處にも集會、彼所にも運動、有志の徒は續々京都に攻め上りて本

山に改革を迫る其趣意は會計の不始末、布敎の不行届を責むるに在りて先づ末寺の議會制

度を設け執事を替へて會計を整理し宗務を改良す可しと主張すれども本山も亦相應に防禦

線を張て容易に落城せず會計は斯く斯くの次第にして不始末には非ず宗門に議會は前法主

の遺志に背くが故に採用するを得ずとて夫れ夫れ辯解もし説明もしたれども斯くては固よ

り改革派を慰撫するに足らざること明なれば本山も一歩を讓て遂に多少の改革を試みたり

即ち執事以下の役僧を任免すると共に議制局の制を改め從來は只條例の制定改正のみを議

决するに止まりしものを擴張して今度は収支豫算を議定し且つ之を監督するのみならず廣

く門末の建議書をも受理するの權を賦與し其賛衆の半數も是迄は寺務役員を以て任じ來り

しに自今寺務役員の任命を廢して更らに二十名の特撰賛衆を置くことゝ爲りしかども物論

は尚ほ収まらず改革は姑息の改革のみ根本的大改革を爲すに非ずんば滿足せずとてますま

す不平を唱へ新任の役僧も本山の意見に從へば改革派の非難を招き改革派の説を容れんと

すれば本山の意に背かざるを得ず進退維れ谷るの窮境に陥りて果敢果敢しく宗務を始末す

ること能はず騒動はいよいよ切迫して遂に本山の糧道を絶たんとし斯くの如き不始末成る

本山に向て喜捨金を納むるも徒に妖僧の懷を肥すのみ後日は兎もあれ今日の出金は無益な

りと吹聽するものありしより本山の収入は著るしく減じて平日ならば一日平均千圓以上も

ある可き〓なるに惡口かは知らざれども近頃三圓内外の日もありしと云ふ然れども本山に

ては三年や五年は賣食しても籠城することを得べしとて容易に屈する色なく改革派も亦本

山が本山ならば此方にも覺悟あり我々も等しく親鸞の末弟子にして何處までも眞宗の僧侶

なれば本山にして若しも我々の意見を容れずんば別に宗務所を開て宗務を處辨す可しとて

飽まで反抗する其趣は恰も先年議會と内閣と相衝突し議會は内閣の不信任を云々して豫算

に大削減を加へんとし内閣は死守して讓らず兩々相對峙して互に一歩も進むること能はざ

りしが如し近來の奇觀なりと云ふ可し騒動の樣子は凡そ右の如くにして扠この後は如何に

成行く可きやと云ふに我輩の所見を以てすれば双方の爭點を明にして根本の非を改るに非

ざれば假令ひ今日改革派の口に唱ふる所の要求を全く容ればとて以て一般の不平を慰する

に足らざるを斷言するものなり彼等の苦情は會計の不始末、布敎の不行届云々の外ならざ

れども是れは只表面の看板にして敵は本能寺に在り實際目指す所は法主の不德不品行に在

るのみ大和尚の不行状は天下に隱れなき事實にして肉食妻帶は宗規の自由なれども自由に

乘じて法外に逸する其有樣は病人が藥用の爲めとて僅に許されたる酒の量を過ごして牛飮

泥醉するものに異ならず正室の外に幾多の侍女を飼ふて既に内の紊亂を致すのみならず時

としては花柳の街に遊び別莊の酒に醉ひ緇衣と紅裙と相共に亂れて飜々たるが如き醜躰こ

そ宗内不平の眞の原因なれ我輩の耳にしたる事實を逐一枚擧するときは際限もなき醜躰に

して却て筆端の汚とも爲る可きが故に態と之を明記せず其實際を聞けば無縁の他人すらも

竊に顰蹙に堪へざる次第なり况んや之を本尊と仰ぎ活如來と崇め奉る門末信者に於てをや

心痛せざらんと欲するも得べからず彼等が從前の執事俗僧等を責るも其眞實は此輩が大和

尚の座右に居て醜事を幇助し醜い事を共にして毫も矯正の跡なきを憤るのみ必ずしも本山

の金を私し敎務を怠るなどの點にあらず滿腹の不平言はず語らずの間に四方に反響したる

も决して偶然に非ざるなり然るに彼等が唯これを不言の間に心痛するのみにして公然正面

より攻撃すること能はざるは何ぞや自から因縁なきに非ず抑も大和尚は宗祖親鸞以來一系

の法主なり恰も俗界に於ける君主と同じく宗内に於ては神聖視す可きものなれば如何なる

塲合にも公然其非行を鳴す可らず一度び其神聖を犯して人身攻撃を加ふるときは宗旨は根

底より動搖するの處あり之を第一の困難として第二を云へば改革派の主唱者中には清淨無

垢の智識輩に乏しからざれども改革の聲言と共に雷同附和したる衆僧の内には腥坊主も甚

だ少なからざるが故に今日特に法主の不德不品行を云々するときは忽ち本山の怒に觸れ斯

く云ふ汝等の素行は則ち如何と反問せられて答辯に窮し遂に水掛論と爲るの恐なきに非ず

第一第二共に實際の困難にして旁々以て法主一身上の事は少しも口外すること能はず只君

側の惡を除ひて宗制宗務を改良す可しと云ふのみ譬へば先年衆議院が内閣員に不平を抱き

軍艦の製造、其他の新事業を否决したるが如し彼等とて軍艦の必要を知らざるには非ざれ

ども自由に閣員を動かすこと能はざるが故に罪もなき製艦費を削除して以て閣員を苦めた

るのみ左れば此際法主の心の非を改めて善智識の本色に還るにあらざれば假令ひ改革論者

の議論を容れて之を實行するも以て門末の不平を慰撫するに足らず分り切たることなれど

も法主の耳に入る所のものは只宗務の改革談のみにして自身の行状に就ては曾て聞く所な

きが故に得々平氣にして毫も憂る所なしと云ふ騒動は何時治まる可きか殆んど際限を知る

可らざるなり然らば之を如何して可ならんやと云ふに本願寺の盛衰は我輩に於て何等の痛

痒もなしと雖も所謂衆生濟度は世安の必要にして宗敎ほど有力なるものなし特に眞宗は我

國に於て最も盛なる宗旨にして天下の大部分を領し就中東本願寺の領分は西よりも廣しと

云ふ果して然らば其騒動は單に東本願寺の利害に止まらずして實に國民の德義に關する一

大事件なれば本願寺の爲めには氣の毒ながら政府の力を以て速に鎭定を試み宗旨の破滅を

防がざる可らず宮内省は華族の進退を監督するの權あり同族中に素行修らずして體面を汚

す者あれば其禮遇を停止して之を戒むるの例なれば東本願寺の大谷伯も果して不行状の實

あらんには自から處分の法ある可し或は衆華族の中には從前既に怪しむ可き人物なきに非

ざれども所謂大法の視る所寛大にして默々に附したり獨り大谷伯に限りて酷に過るとの説

もあらんか然らば則ち之を一宗門の管長として不問に附す可らず管長は宗敎道德の泉源に

して滿身一點の汚穢を留めず其一言一行一顰一笑の微も門末信徒の模範と爲りて未來に衆

生を濟度し現在に世安を維持して嚴護法城の本職を盡す可き筈なるに今日その管長の擧動

は如何ん天下萬目の視る所にて能く其本職に堪へたりと辯護する者はなかる可し否な其門

内既に紛論を生じて論鋒は暗々裡に向ふ所を一にすれども管長は恬として知らざるものゝ

の如し宗門内の總論は固より政府の干渉す可き所にあらざれども其粉論の聲は直に末流の

人心に影響して世の安寧に害あり此一段に至りては從前政府の慣行に於ても看過せざる所

なれば内務省に各宗管長の任免を認可するの權あるこそ幸なれ眞宗大谷派の管長にしてい

よいよ其職に堪へずして遂に世安にも不利なりと認めたる上は自から處分の法ある可し我

輩は一方に法主の悔悟改心を勸告すると共に一方には宮内省内務省の决心を促すものなり