「封金制度を廢す可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「封金制度を廢す可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

封金制度を廢す可し

現金を封の儘に仕舞ひ置くは古來各國共に行はれたる習慣にして大は國庫金を始めとして

小は隱居又は後家などの輩が所謂臍繰金を巾着に貯へ置き死際に至るまで身を放さゞるが

如き即ち封金の例にして此種の金は如何なる額に上るも社會の融通には一文の益をも與へ

ず國家經濟の全體より見れば商工發達の道を妨げ富の增殖を害する其趣は喩へば農夫が収

穫の秋に種を収めながら翌春に至るも之を蒔かざるが如し農夫にして若しも豫想す可から

ざる災厄を恐れて蒔附を躊躇したらんには其種子は倉の内に存するも田畑は荒廢に歸せざ

るを得ず愚の至りなれども天下の農夫に未だ斯る馬鹿者を見たる例なきに反して所謂臍繰

金に至りては無益の取越苦勞して肌に着け置くもの多きは畢竟信用なるもの社會に行はれ

ずして銀行其他の融通機關整はざるが故に人々相互に疑惧の念を抱くが爲めに外ならず然

るに西洋諸國は勿論、近年來我國に於ても金融の機關次第に整ふて信用制度も次第に發達

したるが爲めに民間の預金などには封金の沙汰殆んど跡を収めんとするの色あるに際し爰

に獨り怪しむ可きは政府國庫金の始末にして其取扱方は封建の昔に異ならず恰も戰國の領

主が軍用金を保管するが如く一切之を封じ込めて手を附るを許さゞるの一事なり即ち現今

國庫金の取扱方を見るに歳出歳入共に總て日本銀行に委任すれども銀行は恰も封金の儘に

預るものなるが故に之が爲めに一錢も益することなく唯手數料として一個年若干圓の金を

得るに過ぎず然るに此下附金も三十年度即ち本年限りにて廢止と爲るよしなれば日本銀行

が如何に從順にして一意政府の御奉公を勤むるも幾億の金を取扱ふて然かも其欠損に對し

ては重き責任を負擔しながら無手數料の只奉公は到底永續す可きに非ず或は銀行自身にて

はよしや之を引受くるも全國各處の本支金庫は如何にして此約束に服從することを得べけ

んや今、事の實際に就て其取扱方の始末を見るに日本銀行こそ政府に對して一切の責任を

負ひ手數料を得る其代りに國庫金には手を附けずして正確に保管すれども各地の本支金庫

なるものは唯是れ日本銀行に對し保證を納めたる代理店にして銀行が政府より受くる手數

料の中より僅ばかりの配分を得るに過ぎざれば其國庫金を嚴重に保管して成規の如く手を

附けざるものは實際甚だ稀れに多くは之を流用して幾分の利益を収めつゝあるの常なりと

云ふ其事情の眞實なるは毎年三月卅一日即ち會計年度の終期日に其筋にて全國一般の國庫

金保管店即ち本支金庫の定期檢査を行ふ其前後に當り必ず一般の逼迫を告げて金利を動か

し銀行者が互に警戒するを見ても明なる可し若しも各地の保管店が政府の命令通りにして

終始その金を秘藏し置かんには檢査期日の前後に特に金融逼迫の筈なきに實際に然らざる

は自から掩ふ可らざるの事實を存すればなり盖し各本支金庫の身に取りても夢々保證金を

納め勞力を多くし手數を增しながら僅かばかりの手數料に甘んじて國庫金の取扱を引受く

るものは其目的手數料に非ず之に依て得る所の餘德あるが爲めに外ならず實際の事實なる

に然るに政府は尚ほ封金主義を取りて中央金庫を始め各地の本支金庫に取扱はしむる國庫

金は全く流用す可からざるものと見做す其理由殆んど解す可らず漫に殿樣風を気取りて大

眼に見るものか然らざれば迂濶にして其邊の事情を認めざるものか孰れにしても不明の譏

は免れずと云ふ可し抑も封金制度は前に記したる如く古代の遺風にして今の文明社會の實

際には適す可らず政府が一方より租税を収入して他方に支出するまでの其間之を遊金とし

て庫中に秘藏し置くは唯徒に民間の融通金を絞り上げて之を罐詰と爲すに異ならず今日の

實際に國庫金を罐詰として貯藏するの必要は何くに在るや况んや其罐詰法も事實に行はれ

ざること前記の次第なりとすれば苟も危險の虞なき以上は充分に責任を負はしめて一時の

融通を許すも差支はなかる可し其責任は日本銀行を始として世間の信用ある金滿家又は銀

行ならんには慥に負擔するの力ある可し决して掛念に及ばざればなり外國の實例に徴する

に獨逸露西亞の如き古戰國の餘習を脱せざる國にては今尚ほ封金主義を行ひつゝあれども

其他の文明國に於ては斯る古風の談を聞かず政府は唯中央銀行に對し當座の預金勘定を開

き居るのみにして一方より歳入あれば之を其銀行に預け置き必要の都度取附くること恰も

一般人民が銀行に預金すると同樣なるが故に我國の如く中央金庫には始終遊金の豐なるに

も拘はらず民間には却て逼迫を訴ふるなどの奇相を呈することなしと云ふ至當の處置なり

と云ふ可し左れば我國の現在の如く一種の保管法に依り單に日本銀行のみならず其他の銀

行までも強ひて無報酬の只奉公を爲さしむるは恰も飼猫に食物を與へずして鰹節箱の番を

爲さしむると同樣將來の事を考ふれば寧ろ危險の基のみならず社會不融通の一大原因を成

して一國經濟上の不利益决して少小に非ざれば斷じて古風の封金主義を廢し國庫の金も民

間の金同樣日本銀行を始め信用ある銀行に當座預けと爲し自由に民間に融通せしむるこそ

至當の處置なる可しとして我輩の勸告する所なり