「移住民拒絶は無法なり」
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本文
移住民拒絶は無法なり
移住民拒絶は無法なり
布哇移住民拒絶事件に付ては既に所見を記したれども尚ほ聊か論ずる所あらんに今日まで
の報道に據れば布哇政府の處置に穩當ならざるものあるが如し耶蘇宣敎師にして税關吏の
移民檢査に立會ひたる日本人某が神に誓て述べたる實况談に云く移民が消毒所に上陸して
一應の取調も濟みたるは去月四日の事にして一同は最早や直樣解放の事と思ひしに越えて
九日に至て再び檢査を始め銃を所持したる巡査が嚴重に警戒すると共に官吏出張して尋問
したる其始末は亂暴と云ふの外なしお前は金子を持て居るか持て居ります幾許か或は五十
弗と答へ或は百圓と云ふ誰から借りて來たか或者は自から働て拵へたと答へしにお前は百
姓なるに幾年働て拵へたか二年かゝつて拵へました二年で百圓の金の出來る筈なし宜しい
出ろと云て其人は上陸拒絶の部に入れられたり夫れより次ぎ次ぎに同樣の質問を試みたる
に或は父より借りて來ました宜しい出ろ或は兄より送られました宜しい出ろとて孰れも不
合格と爲りし次第なりと布哇方の云ふ所に據れば自由勞働者は各々五十弗の金を所持せざ
るが故に拒絶したりと云へども右の實話に據れば銘々成規の金を持參したるは明白なり父
より惠まれしにせよ兄より送られしにせよ將た友人より貰ひしにもせよ其人の權理に屬す
る金五十弗を持參すれば上陸に差支なき筈なるに強ひて拒絶したるは其意を得ず特に汝の
身分にて斯る大金の得らる可き筈なしとて漫に想像を廻らして斷定を下すが如きは不法の
甚だしきものにして若しも斯る筆法を以て追返へさんとすれば如何なる移民も拒絶し得べ
からざるものなかる可し布哇は殆んど我勞働者の輸入を禁止したりと云ふも可なり他の國
民は颯々と迎へながら我國民に限り無理に排斥せんとするは兩國の條約にも背く次第なれ
ば决して不問に附す可らず特に續て渡航せんとするもの少なからざる折抦、斯る事情にて
は進むを得ず猶豫なく談判して道を開くこと肝要なり元來日本の移民は彼より招きしもの
なるに今俄に排斥せんとするは何故なるか或は日本が何か野心を抱くならんとの疑もある
ことならんと雖も日清の戰爭は彼の傲慢なる支那人に度々侮辱を加へられて已むことを得
ず戰ひしものにして其後軍備を擴張するは自衛の爲め是迄怠りし所のものを補ふのみ日本
の重ずる所は只商賣貿易の利益にして漫に人の國を押領して無益の厄介物を背負ひ込むの
愚を學ぶものにあらず特に布哇の如き絶海の孤嶋にして而も各國各人種の寄合地は之を治
むること易からずして其領有は徒に面倒を增すのみ米國は地理上の距離も近く商賣政治の
關係も密にして〓の政府は自から進で合併を希望して止まざるにも拘はらず尚ほ之を領す
るを好まず况んや日本に於てをや假し又一歩を讓て我に野心ありとするも出稼の多少は以
て之を左右するに足らず日本勞働者を一萬に限れば野心は〓らずして三萬にすれば侵略の
心を生ず可しとは道理に於てある可らざるのみか其出稼を窮窟にすれば却て困難を生ずる
の恐ある可し且又布哇共和國繁榮の爲めには我勞働者の移住を歡迎するこそ得策なれ支那
人の如く賤しからずして而も低廉なる勞働を供給するは其産業を隆盛ならしむる所以にし
て多々ますます可なり勞働者いよいよ多くして賃錢はいよいよ安く生産費も隨て廉なれば
商賣上に於ても以て外國を壓するに足る可し若し又人口の過殖を憂ふるに至れば政府が強
ひて追ひ拂はずとも生活の困難に迫まられて勞働者自から國外に四散し或は遙々渡航する
ものなきに至る可し即ち自然の妙機にして今日續々移住する者あるは其需用あるが故なり
需用あるは其殖産に必要なるを證するものなり來るものは拒まず去る者は追はず以て需用
供給の平準を保つ可し日本は條約上の權理として不法の拒絶に默從すること能はざると共
に布哇の繁栄の爲めにも勞働者の自由出入を勸告するものなり
希土両國の開戰
忠告する所ありたるにも拘はらず希臘は容易に手を引かず昨日本社に達したる特電に據れ
ば遂に開戰の實を見たるが如し兩國の孰れにても先づ攻勢を取りたるものは如何なる勝利
を得るも决して其利益を収むることを許さずとは列國通牒の主旨なるに希臘兵が其境界を
超えて先づ戰を開きたるは其决心の盛なるを見る可きが如くなれども特電の所報に隨へば
其戰に關したる軍隊の中には伊太利人などもありて其數二千に過ずと云ふ俗に云ふ彌次馬
連の輩にして政府の指揮に屬する正式の兵隊には非ざるが如し而して希臘に於ても此上の
衝突を防遇する爲に嚴重の命令を發し且つ其侵入は政府の毫も與り知らざる所なる旨を宣
言したりと云へば名は開戰と云ふも實は一時の衝突に過ぎずして之が爲めに大破裂を見る
ことはなかる可きか聞く所に據れば希臘人は殆んど政治狂とも云ふ可き人民にして車夫馬
丁の輩までも常に政談を事とする程の次第なりと云へば今回の事件に就ては人心の激昻非
常の度に達し政府の當局者は勿論、國王と雖も殆んど始末に苦しみ他の狂熱に驅られて心
にもなき強硬を裝ふの事情もあることならん露國皇太后を始めとして希臘と姻戚の關係あ
る各王室の人々が希臘王をして執らしむ可き最良手段を講ずるが爲めに親族會議を開きた
りとの報知の如きは自から此邊の消息を窺ひ知るに足る可きが如し盖し歐洲人が希土兩國
に對する有樣は宗敎人種その他の關係よりして自から親疎の別なきを得ず即ち土耳其は恰
も繼子にして希臘は秘藏息子とも見る可きものなれども繼子の從順に引換へ秘藏息子は頗
る腕白にして動もすれば兩親の命令に從はざるの擧動ありと云ふ壓力を加へても其腕白を
懲戒するは兩親たる列國の役目なれども實際に其列國の利害は互に殊にして眞實の一致は
難きのみならず又その列國の中にも政府と人民とは自から反對にして現に英國の如き在野
黨の人々は政府の鎭壓策を攻撃して希臘に同情を表するが如し若しも此際現政府が顛覆し
て反對黨の世の中となり外交略の一變を致すこともあらば或は局面の大變化を呈するやも
知る可らずと雖も斯る大變化は昨今遽に見る可らざるが如し兎に角に希臘人が國を擧て恰
も戰熱に狂するは一つには他國の同情を頼みにし興に乘じて其腕白を逞うしたるの意味も
ありしならんなれ共事態いよいよ切迫して扨竊に前後を顧みれば他の同情は彌次馬連の聲
援に過ぎずして深く恃むに足らざると同時に敵國の戰備はなかなか嚴重にして容易に侮る
可らざるを發見して昨今は其狂熱も少しく醒めたるの氣味なきに非ず政府が頻りに此上の
衝突を防遏することを務め又その衝突の政府の眞意に非ざるを辯解するが如き聊か本心に
立返りたる證據とも見る可きが如くなれば兩國開戰と云ふも單に一時の衝突に止まりて大
破裂に至らず何とかして事の結局を告ぐるならんと豫想せざるを得ず姑く記して後報を待
つものなり