「鑛毒調査を束縛す可らず」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「鑛毒調査を束縛す可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

鑛毒調査を束縛す可らず

鑛毒調査を束縛す可らず

足尾銅山鑛毒事件は目下政府に於て委員を設けて調査中なれば毒の有無も遠からず判然す

ることならん當局者は則ち其結果に依り國家經濟の利害を比較して果して成算を得たる上

は鑛業を停止するなり採掘法を改めしむるなり相當の處分を行ふなる可し即ち今は傍より

彼是れ干渉す可き時に非ず鑛業者も被害民も靜に其處分を待つ可きのみ譬へば家に病人あ

りて醫者の診察を求めたる塲合には一に其醫者に任じて苟も指圖がましき擧動ある可らざ

るが如し穩に其容體を述ぶるは不可なしと雖も素人の身分にて叨に專門の事に容喙し此病

氣は必ず肺病に相違なし是非とも斯く診斷せよなど強ひて言ひ募るは徒に家人の無學無識、

病人に對して却て不親切なるの實を自白するに異ならず然るに今被害民の擧動殆んど之に

類するものあるは遺憾と云ふ可し去る十一日内務大臣の一行が鑛毒視察の爲め群馬縣邑樂

郡早川田に至りしに人民は之を迎へて火外の實况を述べ且つ其目前にて藁を焚き其藁灰を

板の上に置きしに粉末集合して鑛物の如く緊縮せしにぞ内務大臣も大に感じたる模樣なり

しに栃木縣技師にして大臣に隨行せし東條某氏は是れは銅粉に非ず藁アクの集合したるも

のなりと云ひしに人民は憤然として怒り汝は甞て渡良瀬川沿岸の土壤を分析して鑛毒アリ

と認めながら今則ち斯くの如きは何んぞや怪しからぬ奴なりとて多人數にて責め掛りしも

大臣に面じて暫く差控へしが間もなく氏の將に車に乘らんとせし際又々數百の農民氏を取

圍みて汝の如き國賊あるが故に被害人民の難澁も救はれざるなりとて詰り掛りしに栃木縣

知事並に警察署長等其塲に馳せ付け種々になだめしかは漸く事なきを得たりと云ふ然のみ

ならず栃木縣の代議士田村順之助氏も内務大臣に隨行して視察せしに氏は是れまで此の事

件に冷淡なりとて種々詰問せられ遂に餘儀なく今後は共に鑛業停止の運動に從事す可しと

誓はせられたるよし我輩は固より彼の藁灰の結集したるもの果して銅粉なるか將た藁アク

なるかを問はざれども東條某は兎も角も技師なり此の類の事に付き農民よりも慥なる判斷

を下し得べきは疑を容れず内務大臣も農民も共に專門家に非ず其結集物の成分を知る可き

筈なければ技師の鑑定をして強ひて已の想像に從はしむるの權なし病人が吐血したり醫師

分析して肺病に非ずと斷ぜしに素人が否な肺病なりとて無理に同意せしむる能はず又代議

士が鑛業停止に同意するも反對するも全く勝手次第にして傍より其意見を左右す可きに非

ず若しも縣民に對して不親切とならば不評判と云ふ自然の懲罰を受く可きのみ元來人を強

ふるは事の眞面目を發揮する所以に非ず學問上の調査は總ての誘惑妨害の外に〓〓せざる

可らざるに然るに種々樣々の勢に迫られては假令ひ如何なる報告あるも天下萬目の信を博

するに足らず結局被害民の〓毛に歸するの外なければ今は双方とも靜に調査の結了を待ち

其調査の方法にして宜しきを得ざるか若しくは政府の處置に不當の事あらば其時に及んで

正當の手段に依り重ねて曲を伸ばすの道ある可し文明の政府に法律の在るあり今日は醫者

が診察に苦心の最中なれば素人にして漫に煩悶す可き塲合に非ず或は事態いよいよ不如意

なるときは餘儀なく警察力を以て醫師の運動を保護し其誤診を避る手段にも至る可し病家

の體面に於ても美なりと云ふ可らず本來我輩は其間に是非の意見を立てず一に專門家の斷

定に從はんと欲するが故に唯その專門家の調査を獨立自由ならしめんことを望むのみ

公園の擴張と道路の改良

東京市會にては今度芝公園地擴張の計畫を立て芝園橋より赤羽橋に至る一帶の地を取擴げ

て遊歩地區となす見込にて近々その工事に着手す可しと云ふ元來社會の進歩と共に都市は

漸次に繁盛に赴き人口の增加、人家の稠密に隨ひ地價も亦隨て騰貴して一私人が廣大なる

庭園を所有する能はざるに至るは自然の成行なれば市内適宜の地を選んで公園を設け公衆

の遊歩塲に充るは啻に市民娯樂の爲めのみならず衛生上に於ても亦必要の事なる可し左れ

ば公園地を擴張して市民共樂の塲所を廣むるには當然の處置にして一點の疑を存せずと雖

も凡そ事には急不急の別あり今東京市の有樣を見て市民一般の便宜の爲めに謀れば眼前に

尚ほ事の急なるものあるべし即ち道路の修繕改良にして其急不急は公園擴張に比して同日

の談に非ざれば公園地の取擴げなどに費用を出すの餘裕あらば寧ろ之を道路の改良に供す

るこそ至當なる可し目下府下の道路の甚だ不完全なるは明白の事實にして市區改正事業の

進行と共に多少道路に改良を施すが如くなるも今日迄の實驗に據れば其主眼とする所は唯

道幅を取擴ぐるのみにして毫も改良の實を見ざるのみか一通りの修繕さへも行屆かざる塲

所多し左れば市中最も繁昌の區と雖も多少の降雨あれば道路は泥濘と爲りて人間の歩行車

馬の通行に一方ならざる難儀を感ぜしめ人力車夫が車を覆して乘客を泥中に投り出し肴屋

八百屋の輩が躓き倒れて商賣品を臺なしにし丁稚小僧が途中に行き艱みて用便の間を欠く

などは普通の事にして老人婦女子の如きは時としては不慮の怪我するものさへなきに非ず

現に今度取擴げに着手すると云ふ芝公園内の大通りの如き昨暮來如何なる目的にてか徒に

泥土を盛り立てたる爲めに雨後の難儀は非常のものにして殆んど人馬の往來を斷ち時とし

て不知案内の荷馬車などが泥中に踏入れて進退維れ谷り車の齒を損じ馬の足を傷くるなど

は往々目撃する所なり眼前の道路は斯る不始末を其儘にして顧みず一方に公園地の取擴げ

など不急の事を先にするとは何事ぞや或は公園と道路とは費用の出處も自から別なりと云

はんかなれども等しく市内の事業にして苟も市政の全躰に目を配るときは一方のみを見て

一方を看過するの理由はある可らず况んや事の急不急、同日の談に非ざるをや一言敢て市

の當局者に注意するものなり