「鐵道の公私」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「鐵道の公私」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

鐵道の公私

今の法律上に於て私設鐵道の許否は政府の權内に在る可き筈なれども事の實際に於ては恰

も多數决に决するの姿なるが如し彼の鐵道會議の如きは本來鐵道の事に關して政府の諮詢

に應じ又建議するの職權に止まるものなるに今日の實際に私設鐵道の許否は全く會議の議

决如何に任せて政府は恰も其成を仰ぐものゝ如し又鐵道敷設法は政府をして必要なる鐵道

を完成せしむるの目的にして豫定線路までも明に指定しあるに拘はらず其線路の變更增減

は帝國議會の議權に存するが故に實際には議會の意向に由て折り折りは勝手に變更に沙汰

もなきに非ず要するに鐵道の許否が多數决の實を呈したるは疑もなき事實にして既に多數

决とあれば其間に運動して多數を動かし得たるものは自から勝を制するの利益明白なれば

種々の運動流行して一種の勢力を逞うし私設の利益の爲めに本來の方針を妨げられて鐵道

發達の目的を達すること能はざるの事情なきに非ず其一二の例を記せば先頃關西鐵道が線

路を名古屋に延長して東海道の官線に聯接せしめんとしたりし折、政府に於ては本線の利

害上より其聯接を欲せざりしかども關西にては參宮鐵道などゝ通じて大に運動を試み遂に

政府を閉口せしめて目的を達したりと云ふ又中央線の神奈川八王子間線路の始末の如きは

如何と云ふに現に着手中なる中央線の工事に就ては諸器械物品等輸送の爲にも官線の神奈

川より八王子に聯絡は實際の必要にして事の急なるものなるに然るに議會に於ては前期に

提出の折にも之を否决し今回も亦同樣なりと云ふ其理由を聞けば中央線は八王子より直に

東京に達せしむるこそ便利なれば神奈川よりするの必要なしと云ふに在るよしなれども實

際の内情は神奈川八王子間は非常に有利の線路にて私設の計畫少なからざるが故に其輩の

運動に動かされて兩度までも否决したるものなりと云ふ中央線は軍事上商賣上に必要とし

て現に着手せしめながら私利の爲めに其工事の差支をも顧みずして神王間の線路を否决す

るとは何事ぞや尤も其後鐵道會議にては右の線路は官設の見込なりとて私設の請願をば悉

く却下したるよしなれども兎に角に多數决以來往々情實沙汰の行はるゝは右の事例にても

明白なる可し若しも此事相を反對にして今の東海道線が私設會社のものにして營業繁昌の

其處に政府が競爭線を敷て然かも其一點に聯接を謀りたらば如何、又中央線を私設の計畫

として今正に着手の最中に當り神奈川八王子間を政府にて横取せんと企てたらば如何、忽

ち物議を釀して民論騒然のみならず或は議會などには政府不信任の問題を見るに至ること

ならん然るに等しく鐵道の營業にてありながら民業とあれば多數を利用否な濫用して私意

を恣にし以て他の營業を妨げんとす怪しからぬ擧動なりと云ふ可し抑も官設と云ひ私設と

云ふも既に鐵道の業を營む上は均しく是れ營理の商賣にして區別はない筈なるに一方は多

數の力に由て自儘勝手に振舞ふに〓し一方は自家の利〓を〓でも他の自儘勝手に從はざる

可らずと云ふ斯る不理窟はなき筈なり或は官設は〓〓の事業にして專ら公共の利益を謀る

ものなれども私設は私利の爲めにするものなれば自から其間に區別なきを得ずと云はんか

私設は私利の爲めにして官設は高利の爲めにすと云ふ實際に相違なしと雖も抑も私設會社

は資本も甚だ多からずして其株主も何百何千人に過ぎず即ち其私利なるものは眞實何百何

千人の私利なるに反し官設鐵道は國庫の金を以て經營する其金は取りも直さず全國民の負

擔する所にして其損得は四千萬人の利害に係るものにこそあれば吾々四千萬人の株主たる

ものは僅々何百何千人に過ぎざる少數者の私利の爲めに自儘勝手に振舞はれて譯けもなく

不利を蒙るの理由はある可らず况んや四千萬人の公益とは其利益を銘々の懷に収めんとす

るに非ず私設の力、私利の考にては到底企て及ぶ可らざる必要の線路をますます擴張發達

してますます其利益を公ならしめんと欲する大目的を有することなれば其營業たる公明正

大誰れ憚る所はある可らず私利輩の爲めに屈せらるゝが如きは斷じて許さゞる所なり左れ

ば其株主の代表者たる政府に於ては確と意見を定めて公利の目的を明にし鐵道會議に諮詢

し又は帝國議會の恊賛を求むるは固より差支なきも政府は自から政府の所信を執り果して

公益の爲めと認めたらば斷然私利の計畫を排斥して大目的を達せんこと四千萬の株主を代

表する政府たるものゝ本分なる可しとして我輩の敢て希望する所なり