「軍馬の養成」
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時事新報に掲載された「軍馬の養成」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
軍馬の養成
陸戰に軍馬の必要なるは海軍に軍艦の必要なるが如し今回師團の增設に就ては差當り之に
應ずる丈の軍馬を備へざる可らず平時は兎に角に戰時に於ては一騎に付て平均三頭の馬を
要するのみか一人の歩卒の爲めにも糧食の運搬に平均一二頭の駄馬を備ふるさへ中途にし
て斃るゝものあれば進軍に差支を生ずるなど馬匹の軍事上に大關係あるは日清戰爭の經驗
に徴しても明白なれども我國には軍用として徴發す可き適當の良馬なく又これを養成する
の道あるを聞かず政府が曩に馬匹調査會を設け討議の末、視察員を歐米に派遣し又今回の
議會に種牝馬檢査法案を提出して一個の法律を造りたるは茲に悟る所ありて大に全國の馬
匹を改良して以て軍用に充てんとの意に外ならざる可しと雖も僅々二三萬の軍馬を求むる
さへ容易ならざるに國中百五十萬の農馬を悉く完全にして事あるの日には全國皆兵馬にせ
んとの望は果して能く目的を達し得可きや否や抑も今度の馬匹改良は農業上の必要に起り
たるに非ず軍用上切迫の急に促されて始めて着手したるものなるに然るに却て世間の改良
熱に浮かされて軍馬の急を忘れ方針を轉じて民間一切の馬匹をも殘らず改良せんとするに
至りては實地を顧みざる席上の空論たるを免れずと云ふ可し近來歐米諸國に於ては頻りに
農馬の改良に意を用ふるより其體格の大なるに至ては恰も牛の如く千貫の重きを牽きて〓
〓馳驅毫も怯むの色なきもの多しと云ふ我國の馬學者が是等の談を聞て羨望に堪へず〓に
此種の健馬を移して内地に繁殖せしめんとの考を起すも無理ならず深く咎むるに足らざれ
ども所持の田畑は僅に三四反に過ざる小農の多き日本の内地に他國の例を其儘に寫し出さ
んとするは事情の許さゞる所なり田舎地方一般の實際を見れば一日に一反を耕し又二俵の
米を背負ふて日に三里の路を走る馬なれば年寄又は娘子供が之を牽て片手間の駄賃を得る
には充分なりとて寧ろ柔弱のものを望むの習慣なるに今度の法律にては此等の農馬をも悉
く改良して強健ならしめんとて一々種馬を檢して私の種付を許さずと云ふ其檢査にして寛
なれば左までの差支もなけれども斯くては自由に放任するの優れるに如かず左ればとて之
を嚴にすればいよいよ種付の不自由を感じて貧民の困難容易ならず假令ひ種付を無料とす
るも孳尾の期節は三月より五月までとありて耕作摘茶養蠶等に最も多忙の時なるに近傍幾
箇村の牝馬を集めて之を行ふには豫め期日を定めざる可らず之が爲め二日も三日も空しく
費すは寸暇を惜む農民の堪へ難き所なり或は斯くの如くにして目下に急なる軍馬改良の目
的を達し得れば固より賛成する所なれども本來軍馬と農馬とは全く養成法を異にして軍馬
は必ずしも大なるを要せず兵卒の自由に使役し得るを度として力強く悍性多きを尊ぶ等そ
の性情骨格に就て要する所甚だ嚴重なれば軍馬として養成したるものは或は農馬に使用し
得べきも農馬として養成したるものは决して軍馬に適す可からず西洋などにては軍馬は華
奢にして農用に適せずと云ひ我國にては却て強大に過ぎて農用に適せずと云ひ苦情の原因
は同じからざれども古來の風習として箱庭同樣の馬塲を駈け廻り數回の快走に差支なき乘
馬を最良と心得居る我國民に向て寒暑風雨に拘はらず到る處の山川原野を跋渉して非常の
困難に堪へしむるを目的とする今の軍馬を農用の傍に養成せしめんとするは容易に望む可
らざる所にして實際に無益の勞なれば一般馬匹の改良は姑く後日の談として我輩は今の農
商務省内に更らに馬政局を設けて軍人をして之を統督せしめ南部産と鹿兒嶋産とを問はず
産馬に最も適當なる地を擇びて大に軍馬養成の道を講究すること適宜の方法なる可しと信
ずるものなり