「臺灣の難治」
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時事新報に掲載された「臺灣の難治」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
臺灣の難治
日本が外國の土地を領したるは臺灣が則ち初めにして之を御するに如何なる筆法を以てす
可きか全く無經驗なれば其方針も定まらず時としては嚴に傾き又時としては寛に流るゝも
餘儀なき次第なる可し住民は頑強にして往々反亂を企つるのみか盗賊の類所在に出沒して
甚だ物騒なれども警官は概ね言語通ぜず耳も口も其用を爲さずして事前に之を豫防するこ
と能はず不十分なる通譯共の注進に依て徒に東奔西走するのみ内地より渡航する商人の輩
は資本豐なる順良の人に非ずして多くは一時の奇利を求むる壯士流の徒なり其商賣は僅に
居留の内地人を目的とするものにして政權の外一切の權力は支那人の掌中に在ることなれ
ば内地人は恰も客人の如し施政上にも自から不如意なきを得ず内地より赴任する官吏輩も
墳墓の地として渡航するに非ず萬事創草の地なれば何か面白き事もあらんとて一時腰掛の
積りにて行く者のみなれば其職務に勉強して治績を擧げんとの熱心も自から薄からざるを
得ず特に内地に於ては公衆の監督も嚴重にして一擧一動批評を免れず官吏も隨て愼むこと
なれども臺灣は遠く離れし別天地にして社會の制裁も薄弱なると共に誘惑も少なからず腐
敗し易きは自然の數なり現に此程も土地買入に付き總督府の官吏中に不正の嫌疑を以て捕
縛せられしもの數名ありしと云ふ又守備兵の如きは其苦勞尋常一樣に非ず諸所に出沒する
賊徒征討の爲めに奔命に疲るゝのみならず炎熱を犯し病氣と戰はざるを得ずして斃るゝも
のも少なからざれども内地の人々は殆んど知らざるが如くにして犬死の觀なきに非ざれば
士氣も自から沈衰を免れずと云ふ臺灣の事情は凡そ右の如くにして統御の任に當る者は非
凡の才に非ざれば治績を擧ぐること難きを知る可し現任總督は一種の人物にして又臺灣に
熱心なり其一時の腰掛として赴任せしに非ざるは古稀の北堂までも伴ひし一事に徴しても
明なり何人も永く踏み留まらんとするの考なきに獨り總督の此决心は世人の感服する所な
れども本來を尋れば純然たる武人にして軍〓中の威望素より高しと雖も行政官として難局
に處するの一段に至りては人々の見る所にて多少の榮なきを得ず其赴任のとき有志輩が送
別の宴を張らんとせしに臺灣の物情未だ治まらず我れ獨り酒宴に臨むを得ずとて之を拒絶
し又その任地に着したるとき官舎の立派なるを見て我れ獨り斯る高壯の家に起居するに忍
びずとて容易に入らず總督府に出勤するにも麺麭を?み水を飮みて得々たり其商人輩に接
する筆法を見るに初めより不正不義の徒として容易に近くを容き〓〓〓〓〓〓て其爲人を
想像するに足る可し果して好〓〓〓るや否やは別問題として兎に角に百〓の總督に〓〓〓
〓〓〓〓は代ることもある可しとして其〓任を〓〓〓〓〓〓〓注意を〓〓其次第は前にも
記す如く臺灣は〓〓〓〓〓〓〓〓一方には動もすれば反抗せんとする頑強の民を新政法の
内に収めて其所を得せしむると共に他の一方に於ては腐敗し易き大小の官吏を手足の如く
使役して勤直ならしめざる可らず卒直一偏以て此難局に處するに足らず奇矯の言行以て治
績を擧ぐるを得ず况んや臺灣は年來外國との關係淺からずして外人は新主人たる日本人の
腕前如何とて注目を怠らざることなれば其施設は恰も晴れの塲所に於て藝を演ずるに異な
らず萬一失策あれば帝國の面目に關すること大なり然るに公衆は殆んど之を度外に置き政
治家も亦内に汲々として外を視ること切ならざるが如し我輩の遺憾とする所なり左れば今
後若し總督に更迭の沙汰もあらんには何は扨置き第一流の政治家を擧て之に任ぜんこと我
輩の切に望む所なり