「伊藤博文氏の歐行」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「伊藤博文氏の歐行」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

伊藤博文氏の歐行

伊藤博文氏の歐行

伊藤博文氏は急に遣英大使有栖川宮殿下の隨行を命ぜられ今七日倫敦に向て出發するよし

何か政治上の使命を帶ぶるや否やは知る可らざれども昨年五月露帝の戴冠式をモスコー府

に擧ぐるや山縣有朋氏大使として同地に赴き其序を以て彼の國外交官と交渉して日露協商

を取極めたる先例もあることなれば伊藤氏の英國行に就ても亦〓ず多少の土産あることな

らんと世人は一般に待受くるものゝ如し氏は日清戰爭の初めより其終局まで要職に在りし

ことなれば近頃の外交にも因縁淺からず且つ日本第一流の老政客として歐洲の政治社會に

も其名を知られ居ることなれば相當の禮遇を受く可きは勿論にして彼此往來談笑の間には

自から彼の國外交の事情を知り又我意向を知らしめて互に利益することもある可し特に今

日は世界多事にして列國の外交家は縱橫の策に忙はしき秋なれば我政治家も袖手傍觀す可

きに非ず東歐の戰爭に就ては希軍の敗北と共に露國は傍觀の議を提出し英國は巴里に列國

會議を催して其結末を附けんことを發議したるに列國は之を拒絶したりと云ふ幸に英露の

間に大衝突を生ずることなしとするも多少の紛議は免る可らず且つ假令ひ今度の紛議は無

事に落着するもバルカンは恰も極東の朝鮮の如し何時如何の變も測る可らずして始終歐洲

の外交社會を悩す可きは明なり同時に南阿弗利加の風雲も穩ならず英國は此方面に最上權

を得んと欲して兵を增し軍艦を派する等その擧動の怪む可きは屡々外電の傳ふる所なり東

歐の問題、南阿の事變は我に何等の關係もなきが如くなれども世界の問題は皆相貫聯した

るものにして一方に動くは一方に靜なるを意味し右に讓るは左に収むるを示すものなり東

歐南阿、我に直接の利害なしと云ふ可らず况んや我目前に朝鮮の露兵傭聘の問題あり布哇

の移民拒絶事件あり共に世界の大事件には非ずと雖も共に將來の難問題を諷するものなり

然かのみならず支那は恰も堤防なき低地の如くにして世界の各方面より勢力の〓は自然に

其低地に注入する中にも北方の濁波滔々として押寄せ來ることなれば其流水相激して大波

瀾を生ずるも或は遠きに非ざる可し日本は東亞の主人として固より默視す可きに非ず今よ

り其用意肝要なりとして扨如何に進退す可きか前記の問題は單獨の力を以て决するを容さ

ず〓〓國の容喙を免れざること勿論なれば萬一の塲相に何國を友として何國に當る可きか

列國の利害を達觀して豫め去就を定め親む可きに親み結ぶ可きに結ばざる可らず世間に日

英同盟などの議論あるもこ〓爲めにして英に結ばんか露に親まんか我輩の敢て〓〓す可き

限りに非ず識者自から其擇ぶ所を知る可し時と云ひ人と云ひ伊藤氏の歐行こそ幸なれ日本

を代表して共に今日の問題を語り以て他日の準備を〓〓〓〓〓我輩の切に望む所なり

列國の去就

〓〓〓〓〓〓〓に〓〓〓〓〓如きは歐洲列國の〓〓な〓〓〓〓〓〓匆々〓〓〓〓〓〓を呈

すると同時に列國に〓〓〓て兩國の孰れかゞ干渉を請求するまでは傍觀して時の至るを待

つ可しと勸告したり其勸告に對する列國の意向は未だ明白ならざる其中に戰爭のますます

進行するに隨ひ希臘兵は頻りに敗績して殆んど顏色なし其勝敗は數の命ずる所にして今更

ら怪しむに足らず當然の次第なれども希臘人は敗績の原因を司令官の指揮宜しきを得ざる

に歸して之を非難し國論激昂、王室に對しても不穩の言動さへ免かれざる有樣にして夫れ

かあらぬか總理大臣を免黜して新政府を組織するに至れり新政府は此危急の塲合に處して

如何なる方針を執る可きや未だ報知を得ざれども若しも列國にして速に戰爭の結局を望む

に於ては目下干渉の機會は粗ぼ熟したるものゝ如し然るに最近報に據れば英國は果して商

議を巴里に開て其始末を議せんことを申出したるに其申出は直に排斥せられたりと云ふ今

日までの成行は右の如くにして列國の意向は明白ならざれども以上の事實に由て推測する

ときは露國は依然傍觀主義を執て動かず英國は干渉の必要を認めて自から發議したる其双

方の間には明に意見の衝突を認む可し而して他の列國の向背は如何と云ふに獨逸は云ふま

でもなく露に同意を表するものと見て差支なかる可し考ふ可きは佛國の去就なれども過日

英の總理大臣が病氣保養と稱して佛の外務卿に面會したる事實ある其上に今回英が巴里に

於て商議を開く可しと申出したるが如き何か其間に意味あるに非ざるか外國新聞の報道を

見るに近來露獨墺の間は頗る親密を加ふると共に一方には英佛の二國相近づきて伊太利の

如きも或は二國に依るに至る可しとの事を記載せり容易に信ず可らずと雖も又自から參考

す可き所なり兎に角に英國より申出したる干渉提議の排斥せられたるは事の纏りの容易な

らざるを示すものにして其成行果して如何なる可きや目下の處にて歐洲全般の戰爭を見る

が如き掛念は先づ以て之なきに似たれども列國の意見衝突して或は危機切迫一時、世人を

して和戰如何を疑はしむるに至ることもあらん刮目して見る可き所なり

變死者の始末

此処に縊首あり彼所に行斃あり某の土手に斬られたる婦人の死體あり某の線路にも轢死せ

しものありとは日々の新聞紙上に見ゆる所にして東京府下のみにても年々幾百名に達し中

には住所不明の者も少なからずと云ふ其筋にては是等の變死者を如何に始末するかと云ふ

に一應取調べて身元の分らざるものは直に區役所に引渡して假埋葬せしむるのみ他に何等

の工夫もなきが如し我輩の聊か遺憾とする其次第は假埋葬の前に變死者の何人なるかを知

るは遺族の喜ぶ所にして區役所に於ても面倒と費用を免るゝのみならず他殺の塲合に於て

は自から犯罪者探偵の手掛とも爲る可し現に今回お茶の水橋際に於て發見せし裸婦人の死

體の如き其何人なるやを知ること能はざるが故に隨て又加害者を捜索するの便を得ず當事

者は只管苦心最中なりと云ふ舊幕府の時〓〓於ては若しも途中に變死人あれば棺に収めた

る上、莚〓にて之を蔽ひ番人を附して三日間其塲に据置き〓て〓當りの者をして自由に點

檢せしめたるよし又聞く所に據れば佛國巴里にてはモルグとて身元不分明なる變死者を陳

列して縦覽せしむる所あり死體をガラスの箱に藏めて之を其目的の爲めに特に建設したる

屋内に安置し望みの人々に示して以て其何人たるかを知らしむるものにして米國に於ても

ニウヨーク、シカゴ其他の都會には同樣の工夫あり巴里のモルグには年々三百内外の死體

ありと云ふ然るに今日我國に於て右の如き法なきは何故なるか舊幕府時代の如く死體を現

塲に橫へ置きては近所近邊の迷惑一方ならず固より學ぶ可らずと雖も警視廳構内又は或る

相當の塲所に一舎を設けて一定の期日の間身元不分明の死體を保存すること彼のモルグの

如くするは亦一の良法なる可し僅に數箇の死躰を容る可き一小屋を建設し其死躰の腐敗を

防ぐ可き少許の藥剤を備ふるに何程の費用をも要せざるは勿論にして爲めに兇行者を發見

するの端緒を得ることもあらば社會の公安上益する所は少々に非ざるなり我輩は其利あり

て害なきを認むるものなれども萬一何か差支もあらば責めては寫眞にても取置きたきもの

なり目下問題の死體に付ては解剖の際寫眞だけを取りたるよしなれども平生は甚だ稀なる

が如し是れも亦格別の費用を要するものに非ざれば素性の知れざる死體を發見せば一々其

寫眞を取て或塲所に陳列し望みのものには何人にも縦覽せしむ可し亦以て死者の何者たる

かを知るの方便たる可し現に彼の裸體婦人の屍は或は我子には非ざるか我妻には非ざるか

とて寫眞を見んと申出づるもの少なからずと云ふ今度に限らず總ての塲合に於て自由に縦

覽せしむるは勿論、新聞紙等にも勝手に掲載せしめ寫眞屋にも望に任せて販賣せしめんこ

と我輩の望む所なり