「古弗氏の新ツベルクリン」
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本文
古弗氏の新ツベルクリン
近世傳染病の原因續々發見せらるゝに隨ひ其豫防治療の方法は學者間の大問題として種々
の研究を經たるにも拘はらず其研究の日月尚ほ久しからざるが故に未だ充分の結果を得る
能はずと雖も實際に效を奏して成蹟の見る可きものも亦甚だ少なからず就中實抉垤里亞血
清療法の如き最も著しきものにして此勢を以て着々歩を進むるときは古來不治の廢疾とし
て認められたる病症も容易に治療の法を發見し人間社會に慘毒を逞うする各種の傳染病の
如きも全く其跡を絶つに至るの望なきに非ず將來の希望多々なる中にも殊に結核症の如き
世界萬國に病毒を蔓延せしめ無數の生命を毒するものにして若しも眞實豫防の效を収め治
療の術を得るに至らば實に永久不滅の偉勳にして子孫万世に恩澤を及ぼす可し東西醫學社
會の人々が斯道の最大要務として孜々〓〔石+乞〕々研究に從事して敢て怠らざる所以な
り
抑も結核症の原因たるバクテリヤ即ち結核菌は西暦千八百八十三年の頃、古弗氏の發見し
たるものにして氏は之を根據として爾後その治療法の研究に倦まざりしが今を距ること六
年前彼の所謂ツベルクリンなるものを世に公にしたり是れぞ細菌學否な寧ろ世界醫學の沿
革史に特筆大書す可き偉蹟にして其事實は世人の熟知する所なる可し而して其ツベルクリ
ン調製の次第を尋ぬれば佛國の大家パストール氏の免病試驗を誘源として其本源は遠くジ
エンナール氏の種痘法に出でたるものなり今、或る種の傳染病に罹りたる患者が幸にして
全治するときは一定期の間、再び同病に侵さるゝことを免かれ得べし此事實こそ即ち免病
の原理にしてジエンナール氏は之を痘瘡の豫防に應用して種痘法を發明しパストール氏は
狂犬病その他の豫防治療法を案出せり古弗氏のツベルクリンも亦これに胚胎したるものに
して即ち氏は免病の原理を結核に應用して此病に對する免病性を人爲的に同患者に感受せ
しめんと企てたるに外ならざるなり
扨ツベルクリンの治療上に於ける成蹟如何は專門家の報告に待つの外なし古弗氏自身と雖
もツベルクリンを以て結核の治療上、間然する所なきものと認めたるに非ず熱心勉強いよ
いよ進んでいよいよ改良を期したる次第なりしに爾來六星霜幾多の研究を經たる結果とし
て茲(玄+玄)に新ツベルクリンの調製法を發明したるの報に接しぬ抑も新ツベルクリン
が結核症の治療劑として果して完全のものなるや否や遽に判断を下すは大早計たるを免か
れざれども凡そ社會事物の進歩には自から順序あり學術の進歩も亦同樣にして一躍直に完
全の域に達するは固より望む可らず唯學者の勉強と耐忍とに依り漸次に目的の彼岸に達す
可きのみ左れば今回新發明の如〓〓成蹟の如何は後日の實際に讓り兎に角に熱心研究の結
果、從來の經驗に更らに一歩を進めたるものとして〓〓氏に對して〓〓〓の勞を謝せざる
を得ず
古弗氏〓今度新ツベルクリンを案出したる順序を述ぶれば〓〓〓トリング〓〓の兩氏が破
傷風に血清の抗毒作用を檢出したるは是れぞ彼の血清療法發見の濫觴にして近頃に至りて
プフアイフエル氏は更らに虎列拉及び膓窒抉斯に於ける血清の作用は殺菌機能に依るの事
實を確定したり是に由て之を見れば免病性なるものは决して單純の機能のみに非ず即ち病
源たるバクテリヤが人體中に在て生産する毒素に對し其人體をして免病せしむるのみなら
ず或る塲合に於ては人體中に在る細菌に直接して殺菌的作用を逞うするを得るものなるを
知る可し是に於てか古弗氏謂らく結核症に對する免病性は須らく右兩樣の作用を併有せし
めざる可らずとて從來のツベルクリンは單に人體に抗毒的の作用を附與するに止まれども
新ツベルクリンは抗毒的作用と殺菌的作用とを人體に與ふるの目的にて遂に研究の效を遂
げたるものなり或は之を難じて人體は果して結核症に對する免病性を感受することを得べ
きや否や結核症に罹りて永く苦しみたる患者を見るに曾て免病したることなきもの少なか
らずとの説あれども氏は其非難に答へて曰く人體は優に免病性を感受し得るものなり結核
症の治驗に於て其細菌の殆んど全消するに至ることあるは即ち免病したる證據に外ならざ
れども只常に此免病の現象を認むること能はざる所以のものは畢竟通常の結核症に於ては
細菌の所在、重に或局部に限られて體液内に吸収せられず全身の細胞に直接の關係を有す
るを得ざるが故に隨て全面の免病性を生ぜざるのみ左れば若しも人爲的に結核菌を全身に
普及せしめて組織を刺撃し其反應作用として免病性を生ぜしむることを得ば即ち該症治療
の目的を達す可しと云へり盖し古弗の最も苦心したるは結核菌をして體液の爲めに吸収せ
らる可き物質と爲すの一事なりき本來結核菌は脂肪性の強固なる被膜を被りて體中に侵入
するも永く溶解せざるのみならず熱を加へて其生活力を失はしめたる塲合にも皮下に接種
すれば尚ほ惞衝を起すものなればなり氏は最初種々の化學的作用を藉りて目的を達せんと
試みたれども應用の際に混入する化學劑の爲めに妨害を免れず例へば苛性那篤倫溶液を用
ふれば能く細菌を溶解せしむるを得れども人體に注射すれば局部に化膿を發する等到底實
際の用に供するものを得ること能はざるにぞ更らに工風を運らして機械的作用に依て始め
て目的を達したり其方法は先づ強度の毒力を有する結核菌を培養し其新鮮なるものを採て
空虚蒸發器に容れ全く乾燥せしめて直に之を瑪瑙の乳鉢に移し同質の乳棒を用ひて極めて
丁寧に細末と爲し斯して得たる細菌の粉末を蒸餾水に混じたる上、強力の遠心機(一分間
四千回以上回轉するものにて三十分乃至四十分間絶えず回轉せしむ)を以て震動を與ふる
ときは透明液と沈澱物とを得べし此透明液は即ち結核菌の溶解したる蒸餾水にして之を名
けてO印ツベルクリンと云ふ此O印ツベルクリンは從來のツベルクリンと殆んど同一の作
用を有するものなれば之を用ひず更らに其沈澱物を再び乳鉢にて細末として蒸餾水に混じ
同じく遠心機の作用を藉りて溶解分を別ち又更らに沈澱物を乳鉢にて擦末して水に溶解せ
しむ斯くの如く反覆するときは終に結核菌をして全然溶解せしむるを得べし即ち斯くして
得たる第二回以後の透明液はR印ツベルクリンと稱するものにして是れぞ古弗氏が今回結
核症の新治療劑として世に公にしたるものなり
古弗氏は此新劑を以て動物試驗を行ひ其成蹟の佳良なるを認めたる上、始めて人躰に用ひ
たり今これを肺結核症の患者に注入するときは從來のツベルクリンと異にして反應甚だ少
なく躰温の昇騰甚だ微に一時纔に患部の水泡音の增加を聽取するのみにして更らに他に不
快なる副作用を認めず注射數回にして既に咯痰量と咯痰中結核菌との減少を現はし水泡音
漸く消失して痰の咯出も止むに至る可しと云ふ但こゝに注意す可きは此R印ツベルクリン
は如何なる結核患者にも用ふ可きものに非ず躰温高度即ち他種細菌の混合感染したるもの
又は單純の結核症と雖も既に末期に迫りたるもの等には治療の效を見る可らずと云へり
又此R印ツベルクリンは獨り結核症に罹りたる動物及び人躰に用ひて治療の效あるのみな
らず此心劑を健康なる動物に反覆注射するときは其動物は結核症に對して免病性と爲り斯
くて免病したる動物は毒力の最も強き結核菌を接種するも毫も感染することなしと云ふ
右は最近の報道に據て新ツベルクリン新發明の一斑を記したるのみ此新劑が果して完全の
治療劑として認む可きものなるや否やは實際の經驗に徴するに非ざれば未だ知る可らずと
雖も然れども古弗氏が結核症の治療上に研究の歩を進めて更らに一生面を開きたるは非常
の功勞にして深く感謝せざるを得ず我輩は此新事實を世間に紹介すると共に斯道の學者が
ますます研究の功を積んで完全の成功を期せんことを希望するものなり