「地方冨豪家の責任」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「地方冨豪家の責任」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

本月十日は貴族院多額納税議員の選擧期日にして各地方とも其用意に忙はしく中には非常に競爭して一枚の投票に幾百千圓を投ずるものもありと云ふ議員の競爭必ずしも不可に非ず國事の討論また興味ある可しと雖も顧みれば諸氏の身には一層重大なる責任あるを覺る可し封建の時代に於て諸侯は啻に政治を行ふのみならず又隱然地方の人心を統一して向ふ所を知らしめ其勢力時として意外の邊にまで波及するの事實あり例へば藩主一身の好事尚ほ能く治下の人民に傳染して主公謠曲を好めば一藩翕然として之に向ひ茶の湯を愛すれば忽ち其流行を來せし等各藩その事例に乏しからず然るに廢藩以來各地方の人民は恰も其統一者を失ひ民心散漫に流れて歸する所を知らず縣知事なるものは只政治を行ふのみにして土地の氣風を左右するの力なし特に今後は書生上りの政黨員などを以て地方官に任ずること多く其更迭も自から頻繁なる可ければ民心の統御はいよいよ以て困難ならざるを得ず此間に處するの法は國家の爲めに重き問題と云ふ可し左れば一家の主人が家族を率ゐて冥冥の間に家風の美を養成するに等しく一國の長老は國民全體の向ふ所を知らしめ之を分て各地方に於てはおのおの其統一者を缺く可らず而して地方何人か能く此統一の任に當る可きやと云ふに方今我輩の見る所にては各地に獨立する土豪を措て他に適任者なきを信ずるものなり幾百年の間連綿として其土地に住居し多分の資産を所有して幾多の小作人、奉公人を頤使しつつ城郭の如き邸宅に起居するものは即ち地方の多額納税者にして自から是れ縣治時代の小諸侯なれば勢力なからんと欲するも得べからざるなり是等の人人が恊働一致して地方改良の任に當らば何事を欲するも殆んど成らざるものなかる可し例へば其地方の民情浮薄にして不徳の風習行はるることあらんか富豪自から其品行を愼み宗教を尊奉して社寺を大切にするなど徳風を養ふに於ては民心自から感化せられて風俗の一變す可きは明なり其他衛生なり教育なり其筋の命令には兎角苦情を唱へて心服せざる者多きも富豪自から率先して自から實例を示し學校教育の奬勵、流行傳染病の豫防等懇に説諭して手近く向ふ所を知らしめなば一郷靡然これに應じて事容易に行はる可し即ち冷かなる政治上の命令の外に温なる情合を以て民心を統御するは自然に富豪の双肩に掛れる天職にして此天職を全うするの功徳は彼の貴族院の一隅に議席を占むるの名譽に比して其輕重大小固より論外なるに彼等は何故に此大切なる天職を餘所にして區區たる議席の爭に力を盡すか我輩の解せざる所なり議員の如きは一席の〓〓にて適任と認むるものに託して可なり或は幾人も望人あれば年長者より順番に交替するも不可なし名譽上より見れば個人の一些事と云ふの外なし特に文明の進歩と共に世の風習も次第に變化して地主と小作人との關係も獨り依然たるを得ず主從の如き其情合も漸く冷却して遂には小理窟を以て相接するに至る可し即ち三百代言流の交際にして富豪家が其資産を守るには自から困難なきを得ず今より用意肝要にして其用意とは外ならず前述の如く共に和衷恊同して地方の爲めに盡力し徳を積み恩を施して隱然民心の支配人と爲るに在るのみ或は事甚だ面倒にして且つ時に多少の錢をも投ぜざる可らずと云はんかなれども諸氏は平生郷黨の間に富豪として尊敬せらるものなり金持なればとて公共の爲めに一擧手一投足の勞を執らず又一錢の惠をも施さざるものは尊敬の價なきものなり名譽を受けながら勞を惜み錢を愛むは恰も名譽の喰逃げと云ふも可なり况んや其勞其錢は單に他人の爲めに費すものに非ずして又自家の資財守護の資本なるをや公共の利害より云ふも自家の休■(「戚」+こころ)より見るも地方民心の統御は富豪の大義務として我輩の敢て注意を促す所なり