「英國女皇陛下即位六十年の祝典」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「英國女皇陛下即位六十年の祝典」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

本月本日は英國女皇陛下即位六十年祝典の當日なり本國を始めとして各領地殖民地の臣民は申す迄もなく締盟諸國の帝室人民に至るまで孰れも祝意を表せざるものはなかる可し思ふに英國と我國との關係は制度文物學問技藝の如き多く彼に資して類似の點少なからざるのみならず東西その位置を殊にするも立國の利害、自から相通ずるものあり吉凶禍福特に同情の感なきを得ざるは勿論なれども吾吾日本人が今回の盛典に際して祝意を表せんとするは單に國交際の謂のみに非ず國と國との關係を別にして陛下御一身の幸運に對し苟も世界の人〓として大に祝せざる可らざるものあればなり抑も大英國愛蘭并に印度を統治せらるるヴイクトリヤ女皇陛下は千八百十九年五月を以てケンシントンの宮殿に降誕せられ同三十七年六月二十日ウイリヤム四世皇帝の後を承けて皇位に即き翌年六月ウヱストミンスター寺院に於て即位式を擧行せられ同四十年二月にはアルバート公と結婚あり同年の冬に第一の皇女を擧げられてより同五十七年までに四人の皇子と五人の皇女との誕生ありて陛下の御即位後、皇室は慶事のみ打續きたるが御生母ケント公爵夫人は千八百六十一年に逝去せられ次で同年十二月には皇婿アルバート公に先だたれさせ給ひ重ね重ねの御不幸に一時は深く悲嘆に沈ませられたれども爾來皇室の御運はますます目出度く歐洲各國の王室概ね姻戚の縁に連らなり皇孫の數は振振として二十人の多きに及び孰れも女皇の慈愛を仰かざるなし陛下が家庭の風儀を重んじ殊に慈惠の事に心を用ひらるる其一身の御徳義は今更ら述ぶるまでもなしとして即位より今日に至るまでの御治〓を考ふれば政治上には彼國の例として政黨の競爭より政府の更迭頻繁にして隨て主義政略の相違あるにも拘はらず時の施政は時の當局者に一任し只その大綱を統て皇室の尊嚴を保ちながら自から交際名譽の中心と爲りて社會全般に徳化を及ぼしたるが如き又學問技藝の奬勵は皇室〓〓の美風にして陛下に於ても特に重きを置れ學者を〓〓するは勿論、一技一〓の微も苟もせずして奬勵の法に怠らず畢竟英國の工業製造が大に進歩して隨て商賣貿易の發達を致し世界商工の中心として近來ますます隆盛の勢を呈したるも其源は學問技藝を重んじて特に奬勵せられたるが爲に外ならざる可し又外〓上に於てはますます歩を進めて屡ば國〓を燿かし殊に〓國の擴張と共に通商殖民は古來未曾有の膨張を呈し英國女皇の領地は東西端なくして太陽の沒したるを見ずとの言を爲すに至りしが如き多くは陛下後治世間の成〓として見る可きものなれば英國の臣民が只管陛下の〓徳を仰ぎ即位六十年の今日を期して盛に祝典を擧ぐるは固より偶然ならざれども單に一個の外國人として之を見るも陛下の如く内外の幸福名譽を一身に集めたるものは世界古今に殆んど稀にして眞實一代の儀表として自から尊敬景慕の情なきを得ず即ち我輩が國交際の〓〓〓〓〓して大に祝意を表せんとする所以なり况や〓〓〓〓〓の〓なる〓〓るに於てをや今を距ること十年〓〓八百八十七年に〓〓〓〓〓る即位五十年の祝典に〓〓〓〓〓王〓〓〓〓孰れも倫敦に參集し祝賀の贈品山を成して一時の〓〓を極めたりき思ふに本日の祝典は〓年に比して更らに一層の盛大を見ることならん我國よりは〓〓よりの大使として有栖川親王殿下の親しく參列せらるるあり又彼地にて製造したる我國第一の主戰艦、富士は恰も艤裝を終り列國派遣艦隊の旗艦と共に大典祝賀の列に入る可しと云ふ以て我上下一般の祝意を表するに足る可し我輩は遙に本日の盛儀を想像し聊か一片の祝辭を呈して英國女皇陛下の萬萬歳を祈るものなり