「郵便電信の改良」
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時事新報に掲載された「郵便電信の改良」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
五官の外物に觸るるや直に之を腦に報じ腦は又直に進退を命ずる其間に時を費さざればこそ身體も安全なれども神經遲鈍にして此通信に手間取ることもあらば意外の害を招くは必然なり今郵便電信は國の神經にして事變の報道、知識の頒布、商賣の取引等一として之に依らざるはなし一瞬の遲速も幾千萬の損得に關することあるは論を待たず然るに郵便は往往遲達するのみか全く達せざることさへなきに非ず電信も同樣にして常に延滯を免れず時としては誤字脱漏等讀み難きものも少なからざる其次第は一方に於て通信の數は年年二割以上も増加しつつあるに拘はらず他の一方に於て其機關は議會の解散、戰爭の破裂等にて久しく擴張すること能はざりしに由ることなれども集配人其他の給料餘りに少くして人を得るの困難も亦その一原因と認めざるを得ず聞く所に據れば一二等局集配人の給料は月七圓にして三等局は六圓に過ぎず電信を取扱ふ書記補技術員の如き議會開設以來一度も増給したることなくして僅に七圓若くは九圓の俸給に甘ぜざるを得ず而かも其仕事は隨分難儀にして集配人中には二晝夜の間に廿七時間も打通して驅廻はる者あり技術員も同樣廿四時間ぐらゐ働かざるを得ず世間を見れば商工業甚だ盛にして職工人夫等月に十圓内外の賃錢を得るは左まで難からざるに自から顧みれば六七圓の收入に過ぎず特に物價は著しく騰貴して衣食住の困難は實際に免る可らず是に於てか多年奉職せし者も次第に轉職して新に雇はるる者は唯一時の腰掛として來るのみ隨て來れば又隨て去り恰も旅人の一往一來に異ならずして西も東も分らざる不慣れの人多くマゴマゴ集配に時間を費すのみか配達す可き家を見出すこと能はずして竊に郵便物を投棄煙沒するなどの事もあり自から遲着不達を免れざるなりと云ふ又三等郵便局は受負の姿にして其局長は唯僅に一圓五十錢内外の月手當と印紙賣上高の七分とを給せらるるのみ是迄は脚夫の給料の内より幾許圓を儲け得たるが故に喜んで引受けたることなれども昨今は全額六圓を出しても尚ほ人を雇ふこと能はずして其收入著しく■(にすい+「咸」)じたれば辭表を差出すもの多く當局者も是れには大に苦心し居るよし斯の如き有樣にては到底事の敏活を望む可らざるは勿論或は機關の運轉に意外の故障を生ずることなしと云ふ可らず現に三州豐橋に於ては此程集配人が増給を要めたれども當局者の應ぜざりし爲め一同罷業して郵便は一時中止と爲り人民は非常の不便を蒙りしと云ふ輕輕に看過す可らず若しも東京其他の大都會に於て斯の如き事件あらんか其損害其不便は實に測る可らず物おのおの度あり不當の増給は固より容す可らずと雖も法外に吝んで實際に大損害を釀すが如きは所謂一文惜みの百知らずと云ふものなり財政豐ならずと云ふと雖も其豐ならざるは唯國庫のみにして國民の懷中は甚だ暖なり増税の負擔は少しも苦まざる所なれば必要の費用は颯颯と徴收す可きのみ取り得べきものをも取らずして財政困難なりと云ひ而して必要なる事業の改良擴張を怠り國民をして日日非常の不便を感ぜしむるが如きは經濟を知らざるものと云ふ可し本年度の豫算に是等の費用を見込まざりしは我輩の遺憾とする所なれども既往は咎むるも益なし只將來の注意肝要なりとして今や各省とも明年度の豫算編成中なり何は兎もあれ通信機關の改良擴張に費用を惜むなからんこと我輩の切に望む所なり