「此道路を如何せん」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「此道路を如何せん」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

東京市中道路の無状なるは我輩の毎度論じたる所にして晴天なれば黄塵全都を蔽ひ雨降れば泥濘脛を沒するのみか其中には洞穴あり山あり川あり又河原ありて交通に不便なるもの一として備はらざるなし一等道路廣からざるに非ずと雖も各種障碍物の間を縫ふて僅に一條の細道を開ける其有樣は恰も田舍の山林田野に鳥徑獸路を見るに異ならず都に鄙ありとは正に此邊の意味なるか左れば往來の混雜は非常にして時としては相衝突して車を覆すことあり人を倒すこともありて其危險云ふ可らず爲めに人事の活動を害し商賣の繁昌を妨ぐる直接關接の損害を全市に通算し一年に共計すれば實に莫大の數に達することならん何故に當局者は不問に附するか、之を東京市の役人に問へば云く立派に道路を作るには巨額の金を要す市會は迚も其支出に同意せざる可し假令ひ金だけは奮發するも人の給料までも出さざるは明白なり金ありと雖も人なければ如何ともす可らずと更らに市會の意向を察するに市の道路を改良するに錢が入用とあれば出しもす可し然れども掛員の給料まで奮發するを得ず市の行政は府吏の兼任する所にして府の官吏は中央政府の任免する所なり特別市制廢止の曉は兎も角も今日に於て俸給を支出するは恰も縁の下の力持に異ならずと云ふに在るが如し而して市政を監督する内務省の所見を尋ぬるに道路の改良は固より望む所にして之が爲めに官吏を要すとならば大に増したきは山山なれども中央政府の費用に限あるのみならず各府縣に對する給與にも自から釣合ありて獨り東京府にのみ厚くするを得ずと云ふ一一聞き來れば何れも一理なきに非ざれども元來市政の擧らざるは市民の不面目にして又その損毛に歸することなれば先づ市民の代表たる市會に於て大に奮發する所なかる可らず其行政者たる市參事會に於て市の利害に照し相當の計畫を立てて熱心に市會に求むる所なきは固より其任を盡さざる者なれども市會が特別市制を口實として市民繁榮の資を拒まんとするが如きは恰も小供のダダを捏ると同樣にして大人の擧動と云ふ可らず特別市制が果して市政の擧らざる原因ならば之を廢する固より可なりと雖も市制は一の問題にして道路は他の問題なり其間自から別あるものなれば市制意の如くならざればとて道路の破壞を顧みざるの道理はある可らず市の役人は即ち府の役人なり特別市制の存する間は市民に於て其給料を負擔するの謂れなきが如くなれども中央政府より特に市の道路改良に要する幾百名の俸給を支出すること能はざるは當然なり左ればとて此ままに打捨て置けば損毛は詰り市民の頭上に落來るものなれば曲げても市民に於て奮發せざる可らず市參事會は速に案を具へて市會に請求し市會は速に請求に應ず可きのも多數の役人を要する事業を營むには如何に特別市制とは云へ中央政府より其給料を支拂ふ可きに非ず現に大阪は特別市制の地なれども其港を築くには別に役人を設けて築港費の内より其給料を支拂ひ東京の水道工事も同樣なれば道路の改良も亦此方法に倣ひ別に人を置て其給料は改良費の内より支辨す可きのみ斯の如くにして必要の費用を得たる上にて如何に之を改良す可きかは第二の問題にして石を敷くなり材木を打込むなり將たアスハアルトを用ふるなり專門家に於て自から意見ある可し我輩の今細論するを欲せざる所なれども序ながら一言したきは保路員を設くるの一事なり鐵道には何れも保線員なるものあり絶えず線路を視察して少しにても破損の所あれば一一報告して隨て損すれば隨て繕ひ以て大破なからしむ啻に鐵道のみならず西洋に於ては道路にも數哩毎に一人づつの保路員を置て保全の方法に怠りなしと云ふ今東京の道路は通じて二百里内外にして人馬の往來晝夜織るが如くなれば破損も自から速にして今日は無事なるも明日は如何なる邊に如何の損所を生ずるやも知る可らず特に役員を設けて絶えず巡視せしめ小破損も直に修覆するに非ずんば遂に大破損を生じて非常の經費を要すること猶ほ平生養生を怠れば大病を釀して大施術を行はざる可らざるが如し保存の工夫大切なるに然るに目下市内道路掛の役人は總體にて僅に十數人に過ぎず目の屆かざるは知れ切たることにして假令ひ今後大に改良するも其手入を怠ること今日の如くんば到底善良なる道路を見ること能はず改良と共に保存の工夫肝要なりと知る可し