「通貨の収縮」
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時事新報に掲載された「通貨の収縮」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
通貨の収縮
經濟社會の前途を察するに甚だ不安心に堪へざるものあり其次第如何と云ふに一昨年來物
價は著しく騰貴し貿易は其平均を失して輸入常に輸出に超過し金利は次第に昇騰して金融
逼促し今日の儘に經過せば他日如何なる變動を見るやも知る可らず元來戰後の經濟社會に
於て物價の騰貴するは自然の勢にして其騰貴は敢て患ふ可きに非ず物價一度び騰貴すれば
貿易上に輸入超過の實を呈して國中の正貨海外に流出するが爲めに物價次第に下落して遂
に平準に歸するは經濟上自然の作用にして甚だ明白の成行なるに然るに我經濟社會の近状
を見れば全く自然の作用を欠き物價の騰貴は殆んど底止する所なく何時舊に復す可きやを
知る能はず輸入の超過も今年は昨年に比して一層甚だしかる可しと云ふ抑も斯る奇態の生
じたる原因は昨年來輸入の超過にも拘はらず内國の通過には毫も變動を見ずして其流通高
の収縮せられざるが爲めに外ならず今後と雖も通貨の額にして収縮せられざる限りは物價
はいよいよ騰貴して政府が財政計畫を實施するにも亦民間に事業を起すにも更らに餘分の
資本を要して金融はますます逼促せざるを得ず政府が假令ひ鋭意外資の移入に勉むるも之
を内國に取寄せて不生産的なる軍備の擴張に使用する限りは到底此成行を變ずる能はざる
可し國内の物價が引續て騰貴する塲合には製造家も商賣人も廉價にて仕入れたる品物を高
價に賣却するを得るが故に金融の逼促にも拘はらず世間に不景氣の嘆聲を聞くことなかる
可しと雖も暴騰の反動は自然の勢にして早晩暴落を免かれずとすれば其暴落の時こそ經濟
社會の厄日にして製造家は製造の原費を得る能はず商賣人は商品の原價を得る能はず破産
者踵を接して生じ信用機關の作用は澁滯して恐慌の襲來を見るやも知る可らず此事たる决
して一塲の空想に非ず經濟社會の前途に斯る危險の存ずるは我輩の疑はざる所なり我經濟
社會の前途は此の如くなりとして之に處するの策は如何す可きや目下の病源は通貨の膨脹
にして物價の騰貴も輸入の超過も金融の逼促も歸する所は此一事の爲めに外ならず通貨は
資本に非ず通貨にして如何に膨脹するも形を變じて資本とならざる以上は金融を緩和なら
しむるの効なきは勿論却て物價の騰貴を促し金融をしていよいよ逼促せしめ前途ますます
危險に陷らざるを得ず左れば目下の策を求むれば日本銀行が金利を引上げて通貨の収縮を
謀るより急なるはなし通貨収縮すれば物價は自から下落し輸入貿易の逆風は自から匡正せ
られて金融の緩慢を致し政府の財政も民間の企業も非常の便利を得るや明白なり或は物價
の下落と共に一時不景氣を催ほすの掛念もあらんなれども今日の如き事情の現はれたる以
上は何時か一度は多少の激變あるを免かれず手を拱して其變を待つとせば或は恐慌襲來し
て經濟社會に非常の不幸を見るに反し今日に於て日本銀行が金利を引上ぐれば自から一般
に警戒の念を起さしめ一方に於ては投機事業の濫興を妨げながら一方に於ては他日來る可
き激變を豫防して徐々に經濟社會の復舊を見るに至る可し其手加減は一に當局者の伎倆如
何に屬するものにして徐に通貨を収縮して經濟社會の安寧を保つを得ば此上もなき幸と云
ふ可けれ過般日本銀行が營業法の改革と共に多少金利を引上げたる其眞意の如何は知るに
由なけれども兎に角に金利の引上を斷行して通貨を収縮するは今日に處する適當の策と認
めざるを得ず外資の輸入に依て金融を緩慢ならしめ得べしとなし金利の引上を躊躇するが
如きは我輩の斷じて取らざる所なり