「外交に黨爭を入る可らず」
このページについて
時事新報に掲載された「外交に黨爭を入る可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
外交に黨爭を入る可らず
内政の爭は兄弟喧嘩にして勝つも負くるも左まで意とするに足らざれども外交問題に至ては則ち然らず國と國と相對して自國の權利々益を完うせんとするものなれば當局者の失敗は即ち國の損毛なり苟も心ある者は徒に紛爭を事とせず共に協力して其成功を祈る可き筈なるに然るに昨今世上一派の論鋒を見れば無理に當局者を非難して是非とも失敗せしめんと欲するものゝ如し苦々しき次第にして我輩の竊に歎息する所なり外交問題を始末するは外務當局者の任なれ共陰に陽に之を援けて其運動を自由ならしむるは國民の義務なり當局者の政策が眞實國の利益に反するを認めなば靜に利害のある所を論じて其注意を促すは固より不可なしと雖も只取て代るの一念に制せられ故らに無理難題を持出して他を苦めんとするは國を愛するの心なきものと云ふ可し一言を發し一筆を下す毎に斯の如く論ずれば外國人は如何に感ず可きか又我政略を妨害することなかる可きやと深く自から省るこそ有志者の本意なれ特に今は昔と異なりて論者の責任も一層重きを致したる次第を云はんに是迄政府は嚴重なる規則を設けて言論を束縛し動もすれば新聞紙の發行を停止し又演説を中止するのみか外交の事は成る可く秘密にして世上に知らしめざるの流儀なりしに今は則ち然らず大に言論を自由にすると共に外交上の事も勉めて公にして喜憂を分たんとするに至れり例へば米國に向て云々の抗議を申込みたりとか布哇は箇樣々々に返答したりなど云ふの類は從來の政府ならんには秘密として容易に知らしめざる可きに今の當局者が颯々と之を世人に告げて憚らざるは盖し國民も大に發達して大抵の事は打明けて話すも爲めに不都合を生ずることなかる可きを信ずればなり政府既に國民を信じて其言論を自由にし又秘密をも語るに於ては國民も亦其覺悟を以て事に處せざる可らず小供は一々父母の指圖に隨て進退するが故に責任なしと雖も既に一人前の男女と爲りて萬端の家政に參與するに至れば一家の盛衰に付て父母と心配を共にするが如く國民の責任も亦其信用と共に揩キものと知る可し然かのみならず輿論政治の國に於ては人民の聲は外國に對しても自から力ありて外交上に大なる影響を與ふるの常なり當局者が如何に相手の感情を和げんとするも人民にして愼むことを知らず粗暴無禮の言論を恣にするに於ては到底双方の間に友誼を全うすること能はず當局者も國民も向ふ所を一にして始めて目的を達す可きのみ外交には一切黨派根性を止めにして銘々此國を背負て立つの覺悟あらんこと我輩の呉々も希望する所なり