「活溌なる樂を樂む可し」

last updated: 2021-12-25

このページについて

時事新報に掲載された「活溌なる樂を樂む可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

活溌なる樂を樂む可し

人間は衣食住のみを以て滿足すること能はず一旦生計に餘裕を生ずれば其餘裕を以て直に娯樂を買はんと欲するものなり娯樂の種類は一にして足らず歌舞音曲あり書畫骨董あり射的、遊獵等ありて各々好む所を異にすと雖も國民の氣風をして勇壮ならしめんには樂も成る可く戸外活溌のものを選ばざる可らず一室の内に閉籠りて挿花、茶の湯を樂み或は書畫骨董など拈くりて得々なる人民の間には迚も雄大の氣象を見る可らざるなり西洋の紳士は或はヨツトを走せて洋中の清風に浴し或は山野を跋渉して野獸を獵し然らざるも乘馬、端艇、外國漫遊等その樂は概ね快活ならざるなきに反して日本人の樂は多くは室内優柔のものなり挿花、茶の湯、盆栽、碁將棋等一種穢小なる樂の特に我國に於て發達したるは正に國民の氣風如何を示す者にして盖しコ川三百年の太平に鎖國の夢、暖にして活動の刺激を得ず自から優柔に流れて男子の遊戯も遂に小供のマヽゴト流に化したるものならん鎖國の時代には斯の如くにても敢て不都合を感することなかりしかども今や夢醒めて四邊を見れば喧騒紛擾恰も戰塲の如し油斷をすれば將に踏倒され蹴飛されんとする程の有樣なれば有為の壮年が樂隱居を氣取て骨董など弄ぶ可き時に非ず歴史研究等の材料として學者が古物を探るは亦文明進歩の一助にして固より咎む可きに非ずと雖も活世界の活事務に任じて恰も千軍萬馬の巷に馳驅する者は一擧一動の間にも心身を養ふて後れを取らざるの覺悟こそ肝要なれ遊戯娯樂も自から快活なるものを選ばざる可らず例へば暑を避くるにも單に箱根、日光等に限らず或は北海道千嶋の海濱に逍遥し若しくは一歩を進めて西伯利の曠原を探檢するが如き興味頗る多かる可し或は深山幽谷を跋渉して奇鳥異木を採集し或はボートを浮べヨツトを馳せて清風を樂むも亦妙なり其他騎馬旅行、遠足、射的等兎にも角にも戸外活溌の遊戯を専とせば身心共に健全と爲りて始めて繁劇なる文明の實務に當るに足る可し然るに近來富豪紳士輩の樣子を見るに矢張り舊套を脱する能はず隱居流に非ざれば婦女子的か然らずんば淫猥不潔時に待合料理店に出入して例の酒色弄花に健康を害する者あり或は養生の爲めと稱して義太夫謠曲を叫ぶ者あれば古器古書畫の鑑定など得意の顔色して道具屋に交はる者あり其鄙俗文弱なる之を一見しても唯嘔吐を催ほすに足る可きのみ漫然看過し去れば一夜の遊興に千金を散ずるも一枚の反古に萬金を投ずるも固より其人々の勝手にして他人の關せざる所なれ共此大切の塲合に處して文明實戰の先鋒たる可き有為の士が酒色の捕虜と爲り古物の奴隷と爲りて自家の天職を忘るゝと共に身體の健康を傷ひ氣力を損じて敢て顧みざるが如きは國家の爲めに歎息せざるを得ず過般の戰爭は日本の名譽を高めたるに相違なしと雖も同時に我を擠して大困難の淵に投じたり獨り兵備の擴張を以て安心す可らず國民銘々が大に任じて百般の經營に怠りなかる可き筈なるに漫に無事太平を夢みて道樂を恣にするとは何事ぞや大に勤めて大に遊び遊ぶには必ず戸外活溌の遊びを遊んで更らに大に奮發するの地を作らんこと我輩の呉々も望む所なり