「 官吏の俸給を増す可し 」
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時事新報に掲載された「 官吏の俸給を増す可し 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
官吏の俸給を増す可し
二種の事情より政費の増加は到底免る可らず第一は所謂戰後の經營にして軍備を始め教育、外交、交通等の諸機關は總て擴張せざるを得ず爲めに費用を要するは勿論なり第二は即ち物價の騰貴にして從來一圓の品が一圓五十錢と爲り又二圓と爲りしことなれば政府が物を買ひ人を雇ふにも自から多額の錢を出さゞるを得ず今暫く官吏の俸給に就て論ぜんに一昨年末の調査に依れば全國官吏の總數は四萬六千六百九十八人にして其年俸總額は千百四十萬四千八百餘圓なり之を月給に直して頭數に割當れば一人平均二十圓三十五錢にして日給にすれば六十七錢餘に過ぎず其後人員に於ても又俸給總額に於ても多少の異同を生じたることならんと雖も別に俸給例改正の沙汰もなければ其平均額は矢張り前日の如くなる可し左れば増給は目下の必要なる次第を云はんに明治二十三年の官吏總數は五萬三百六十七人にして其年俸總額は千百九十七萬六千百十六圓なれば毎人の平均月給額は十九圓八十一錢餘なり之を今日に比するに僅に五十四錢の差あるのみ爾來物價は凡そ二倍と爲り職工人足の賃錢も相當に騰貴したるに獨り官吏の給料のみ舊來のまゝにて辛抱し得べきに非ず目下大工左官の手間賃は凡そ七十錢にして石工は一圓、普通の人足にても四十錢を下らず車夫の如きも日に七八十錢より一圓を得ること少なからずと云ふ左れば官吏の給料は車夫又は大工左官にも及ばずして謹に土方人足の上に在るのみ相應の教育を受け文筆を以て衣食するものにして其得る所職人輩にも及ばずとは誠に不思議なる現象にして人事の變態と認めざるを得ず尚ほ試に或る私立銀行の月給額を聞くに上は頭取より下は小使まで平均して凡そ二十九圓にして之に賞與を合算すれば一人の收入五十圓に近しと云ふ亦以て官吏俸給の安きを見る可し俸給安ければ勉強も亦少なし稀れには月給の多少に拘はらず眞面目に奉公する者もある可しと雖も例外は一般を律するに足らず滔々たる多數は錢の多少に依て動くの常にして官吏も亦普通の人間なれば人間並に相應の錢を給與して安堵せしむるこそ肝要なれ無理を犯せば必ず弊あり民間の氣色は春の如くなるに獨り官海をして強て冬たらしめんとせば少しく氣力ある者は皆飛出して共に春を樂まんとし留る者は只老朽の輩のみと爲る可し假令ひ實際辭職するものは多からずとするも一旦その社會に脱走の風を生ずれば全體爲めに動搖して何人も腰を据ゑて仕事すること能はず自から事務の澁滞を免れざる可し又官吏とて特に貴き者に非ざるは勿論なれども兎に角に人を支配す可き地位に立つものなれば職人輩と異なり相應の品格をも保たざる可らざるに其給料は實際半減せられたると同樣にして衣食にも不自由を感ずるに至れば風儀も自から亂れざるを得ず事務は澁滯して風儀は亂る政府の最も惡しきものと云はざる可らず一歩を讓て假に上級官は今の給料にて辛抱し得可しとするも下級の輩に至ては迚も堪ふ可らず現に遞信部内の如きは人を雇ふこと能はずして通信機關の運轉、滑ならざるに非ずや俸給の改正は目下の急務にして政費の増加は自然の數なり一方には政費を増すの必要ありて他の一方には國民に負擔の餘力あるに尚ほ何を苦んで増税を斷ぜざるか斷じて行へば鬼神も避くると云ふ我輩は返へす返へすも當局者の奮發を促すものなり