「後藤伯/府下の警察」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「後藤伯/府下の警察」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

後藤伯

は久しく病気〓〓、〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓逝去したり〓〓伯〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓したる功勞は世人の〓なる所〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓將軍に謁し親〓〓大〓最上〓〓害〓數〓其〓〓〓を以て明治維新の〓を開きたる〓事の〓き今更〓云ふまでもなく〓他政治上に〓〓〓〓〓〓〓〓〓我輩の關知する所のもの少な〓〓〓〓目〓〓〓〓〓〓〓もあらんなれども其事績は一〓〓〓〓〓〓〓〓〓可きに非ず何れ其傳記の世に出づるを待〓〓〓〓〓之を他に讓り彼伯の人物に就ては自から〓〓〓〓少なからざれども凡そ奇拔の行は尋常〓〓の規矩に〓して他の耳目を驚かすの常なり伯の行爲は其〓奇拔にして傍若無人、人の意表に出るもの多きが故に一方に味方を得ると同時に一方には又自から反對するものなきを得ず區々の批評怪しむに足らざれども要するに非常に大膽の人物にして如何なる大事に當りても毫も驚かず他人ならんには苦心慘憺、夜の目も合はざる程の場合にも平然これに處して談笑自若、事を事とも思はざる其膽略は尋常人の到底企て及ぶ所に非ず此特質こそ即ち伯の長所にして一世に重きを成したる所以なる可し伯が曾て在野の折、一時借金を負ひたるは非常にして凡そ今の日本人中に斯る多額の借金したるものは殆んど稀れなる程の次第なるに伯は更らに苦にせざるのみか貸主の〓が法廷に出訴して訴匠の沙汰頻繁なるにも拘はらず毫も頓着せず家居悠然日に筆硯を〓して餘念なかりしが如き一身の私事に過ぎたれども其政治上に於ける擧動も即ち此流儀にして維新當初の英斷は實際伯の主張に出でたるもの少なからずと云ふ左れば若しも此人をして總理大臣の地位に當らしめ政府の全權を任せたらんには國家百年の長計は兔も角も〓厲風發、眼前の障害物を一掃して一時天下の耳目を一新するの〓〓〓〓見る可きものありしならんに時に政府の地位を得たることなきに非ざれども一身孤立して大に力を伸ばすの機會を得ざるのみならず其大恩不義の行爲は適ま〓の物議を招くの種と爲りて世と相容れず遂に志を得ずして歿したるは返す返す遺憾なりと云ふ可し抑も維新以來卅年、治世久しきに亘れば停滯不通の弊を生ずるも改〓の免かれざる所なるが、今の政府を見れば〓〓の失策として認む可きものあるに非ずと雖も部内の〓〓〓爲めに百事停滯、活動の活〓を缺くこそ目下の〓〓にして恰も昨今の天德を一般に晴るゝともなく曇るともなく暑氣蒸すが如く人を惱殺せしめて殆んど堪へ難き有樣にてありながら滿朝一人の自から奮ふて其弊根を蒙るものなしと云ふ此時に當りて風雷一發、乾坤を振蕩して能く廓淸の功を講ずるは尋常大概の豪傑に非ざれば能はず後藤伯の如き此一點に於ては満天下第一の人物にして今の朝野に伯を外にして此大任に當るものある可らず我輩の望を〓したる所なりしに〓〓〓〓〓〓は〓〓〓〓〓〓を見捨てゝ〓〓〓く〓を〓〓〓〓其〓〓〓〓に〓一身の不幸のみならず實〓〓〓治上の不幸として我輩の殊に痛惜に堪へざる所なり

府下の警察

去る二日の夜、日本橋〓〓〓〓〓〓商會の亂暴事件は〓〓〓〓の〓事と云ふ〓〓〓が商品を〓〓に富〓類似〓〓〓を以〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓所と〓〓〓〓〓事〓〓たれども〓更らに〓〓〓〓注意に脅迫〓擧動を演じ〓兼ての〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓購買〓〓〓〓せしめたるが如き果して事實〓〓〓〓〓〓僞〓〓より見て事の穩當なるものとは〓む可らず左れば其〓〓疑を云々して之を責むるは〓〓〓〓〓〓〓卒然〓〓〓に訴へて建物を傷け器具を破壞するに〓〓〓〓〓〓言語道斷、斷じて許す可からざるの擧動なり然るに當夜の始末を聞くに警察官は現に其場に臨みて〓〓〓實際を目撃しながら現行の犯人を捕ふる能はず漸く二三の嫌疑者を拘引したるのみなりと云ふは帝都の中央に公然暴動を演ぜしめて之を制する能はざるのみか其犯罪人さへも得る能はざるは其怠慢〓〓〓く可〓我輩は是非とも其責の歸する所を明にせんことを望むものなり或は其〓〓は事、匈卒に超〓て警察官は現場に臨みながらも人數の不足の爲めに手を下すを得ずして斯る始末を見たるものなりと云は〓〓本來警察の仕組は斯る不審の出來事に應ず可き筈のものにして〓〓の手配は平素より豫め計畫を定めて非常の場合に遇〓〓〓〓〓〓〓なるに實際然るを得ずとあれば仕組〓官〓〓〓〓るが爲めに外ならず若しも其用意〓〓かに經費に足らざるが如きことあらんには之を要求して事を養ふるは當局者の責任にして何れにしても其費は免かる可らず斯る怠慢無力の警察に生命財産の保護を依賴する府下の人民こそ迷惑なれ其責を明にして後を能くせんこと〓我輩の切望する所なり