「 電燈會社の反省を望む 」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「 電燈會社の反省を望む 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 電燈會社の反省を望む 

東京電燈會社は今回點燈料を直上げして來る九月一日より實施するよし今その改正直段を示せば左の如し

   十 燭           十六燭        メートル料

  半夜 一圓二十錢    半夜 一圓八十錢    一アムペアに付三錢 

  終夜 二圓       終夜 三圓

高きか安きか我輩の知らざる所なれども他に比較すれば廉なりと云ふ可らず試に各地の電燈料を聞くに

    十 燭            十 六 燭        メートル料

    半夜   終夜       半夜     終夜     一アムペアに付

京 都 七十錢  九十錢      八十五錢  一圓十錢    一錢九厘二毛

大 阪 九十錢  一圓二十錢    一圓十錢  一圓六十五錢  二錢五厘六毛

神 戸 一圓   一圓四十錢    一圓四十錢 一圓九十五錢  二錢四厘

名古屋 八十錢  一圓二十錢    一圓十錢  一圓六十錢   二錢五厘六毛

廣 嶋 一圓   一圓三十錢    一圓二十錢 一圓五十錢

即ち東京は十燭の終夜燈に於て最高の神戸に比するも六十錢高く大阪に較ぶれば八十錢方不廉なり尤も各地の電燈會社にては電球を取替ふる際別に代金を請求し東京電燈は無代のよしなれども電球の代價は凡そ一圓にして六ヶ月間ぐらゐは使用し得べしとのことなれば其差は月に十六七錢に過ぎざるのみか實際東京電燈は容易に之を取替ふることなし假に電球料として二十錢を差引くも各地方十燭力の平均直段は一圓二十錢なれば東京は正に六十錢方高價にして平均十燭力二萬燈の上にては日に一萬二千圓、一年には十四萬四千圓を餘計に利する勘定なり何故に然るか電燈に第一の必要品たる石炭の價は神戸大阪等よりも高きに相違なしと雖も其直違ひは些少にして年に幾萬に達せざるは勿論、若しも東京の石炭は大阪よりも高きが故に電燈料も自から高くせざるを得ずと云はゞ例へば東京にて製する紡績絲は大阪絲よりも餘程高からざるを得ざる譯なり然るに實際然らずして各地と平準を保つに獨り電燈料のみ著しき差異あるは會社に於て餘分の利を收むるか然らずんば營業に拙なるものと認めざるを得ず一歩を譲て料金の高きは尚ほ忍ぶ可しとするも點燈の不十分に至ては切に改良を求めざる可らず前にも記す如く電球の効用减ずれば會社は無代にて取替ふる筈なれども實際半年も一年も其まゝにして適々之を請求するも容易に應ずることなし是れ電燈の暗き第一の原因にして他に尚ほ不都合ありと云ふ其次第を聞くに東京電燈の機關は二萬燈を限りとするものにして會社の帳面に於ては固より制限以上の點燈なしと雖も實際は二萬五千も點ず可しと云ふ果して然らば恰も是れ二十人前の食物を二十五人に分配すると同様にして空腹は免る可らず單に光力の=きのみならず機關の装置不完全なるが爲めか明滅常ならず時としては市中の一部に四時間も五時間も暗黒世界を演じて俄にランプ蠟燭を用意するなど大混雜を生ずることあり宴會の最中に滿堂の燈火一時に滅して主客共に呆然たるが如きは毎度の沙汰にして曾て或る病院にては手術の最中燈火滅して非常の危険に陷りたることありと云ふ左れば電燈會社に對する苦情は一方ならざれども當事者の曾て頓着せざるこそ奇怪なれ此程或人が會社員に向て料金は何程にても差出す代りに燈火の滅せざるを保證す可しと云ひしに==如何なる變も計る可らず迚も保證は出來ずと返答したるよし代金は思ふまゝに受取て明滅は我れ其責に任ぜずとは隨分虫の良き話にして斯の如き我儘勝手は他の商賣に於て見る可らず若しも疵物を賣て高き代價を取るものあらば人は决して之を許さず電話の如きも不時の出來事にて不通と爲れば相當に减價するの例なれば萬一電燈に故障を生じて需用者に不便を感ぜしむる塲合には會社は責に任じて相當の罰金を出して至當なる可し且つ聞く所に據れば會社にては今度其電線改良の費用を一般の顧客に分擔せしむるよし是亦奇怪至極と云はざるを得ず電線改良費は會社の營業資本なり天下商賣の種類多しと雖も營業資本を直接に顧客より徴收する者あるを聞かず資本不足ならば社債を起すなり增株を募るなり兎も角も會社に於て負擔せざる可らず例へば印刷會社に於て其機械を改良するに巨額の資本を要すればとて直接に之を其顧客に分擔せしめんとせば如何、世人は唯一笑に附し去らんのみ增資の結果として製品の代價を高むるとならば或は聞えたる話なれども直税を顧客に課するは世間不通の方法と云はざるを得ず世間並外れの代價を徴收する上に斯る變則の方法に出でずんば營業困難とならば斷然廢業するも可なり文明の利器を專有して我儘勝手を恣にするは公共の爲めに我輩の默視する能はざる所なり