「 臺灣總督府官制改正に就て 」
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時事新報に掲載された「 臺灣總督府官制改正に就て 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
臺灣總督府官制改正に就て
聞く所に據れば政府にては臺灣總督府の官制改正案を艸し過日松方總理が親しく西京
に到りて奏上に及びたる處、宜しく再考す可しとの旨にて裁可を得ざりしにより更らに再考艸案中なりと云ふ我輩は素より改正案の詳細を知らざれども一旦奏聞を經ながら更らに再考の必要あるを見れば其改革は尋常一樣のものに非ずして今の政府の爲めには頗る重要の事件なるが如し抑も總督の權限を大にして文武の全權を一切委任し恰も臺灣王に封じたると一般ならしむ可しとは我輩の屢ば主張したる所にして今日の統治策は此外になかる可し而して其人物は必ずしも軍人に限らずして當世第一流の政治家を選はざる可らず如何とあれば其權限の大なる中に、殊に軍隊の進退運動を司るが如きは自から威望卓越のものに非ざれば不可なればなり目下再考中の改正案は頗る重要なるが如しと云ふ果して此邊の决斷にてもあらんには我輩の大に賛成する所なりとして扨拓殖務省の處分は如何す可きやいよいよ改正の實を行ふて總督に統治の全權を委任する以上は拓殖務省は全く無用のものにして之を存するときは恰も二人の總督を置くと一般、事を妨るに過ぎざるのみ左ればいよいよ右の如くに改正とあれば同時に拓殖務の廢止は自然の結果にして勿論の事なる可しと信ずれども抑其廢止は殆んど朝野一般の輿論なるにも拘はらず政府が一種の情實の爲めに斷ずること能はざる其情實とは盖し現任の當局者高嶋氏は創設以來の大臣として最初より臺灣施設監督の任に當り實際の成蹟は兎も角も自から抱負もあることならんに今更ら廢止とは當人に氣の毒なる其上に今の政府は恰も相持の姿にして高嶋氏の如き有力の一人にこそあれば若しも廢止を云々して其不平を招くこともあらんには事の成行面倒なりとて銘々に廢止の必要は認めながらも公然主張するものなきこそ即ち其原因なる可し若しも斯る次第にして拓殖務の廢止を斷ずる能はざるに於ては總督府の官制は如何に改正するも實際その任に當らんとするものなく其改正は全く有名無實に歸せざるを得ず無益の勞にこそあれ左れば高嶋氏にして果して臺灣統治の抱負あらんには此際拓殖務大臣を以て臺灣總督を兼任す可し否な更に一歩を進め拓殖務を廢して自から總督の任に當る可し我輩の敢て勸告する所なり氏は所謂第一流政治家の資格に於て自から缺る所なきに非ざれども一昨年劉永福の征討以來臺灣施政監督の任に當りて今日に至りたることなれば其統治の責任は氏の負ふ所、最も大ならざるを得ず即ち目下統治の實際に就ては斷じて責を免かれざることゝ覺悟し此際大に决斷して自から其局に當り自家の抱負を實にするは一身の本懷なる可し或は現在の官制ならんには總督の地位は大臣の下にして之に轉ずるは恰も謙遜の感もあらんなれども其官制を改正して全權を與へ大臣同樣のみか更らに其以上の權限をも委任さるゝことゝならば其邊の掛念はある可らず我輩の敢て望む所なれども或は總督府官制の改正を必要と認めながら拓殖務は依然その儘に存し自から其地位に據りて監督否な掣肘の實を逞うすることもあらんには實際には恰も臺灣の事を妨るに異ならず苟も國家を思ふものゝ爲す可らざる所にして如何なる批評を蒙るも辯解の辭はある可らず今日の事、只氏一身の决心如何に在るのみ我輩の敢て奮發を希望する所なり