「 幣制改革と貿易の不平均 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 幣制改革と貿易の不平均 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 幣制改革と貿易の不平均 

作年來倫敦の銀相塲を見るに銀塊一オンスは大抵三十片内外の價を保ちたりしに本年に入りて次第に下落し汾れ入しに二十五片臺を上下するに至れり斯く銀價の下落するに從て我國の爲換相塲は如何なる影響を被るやと云ふに本來日本は今尚ほ銀貨國なれば銀價にして下落すれば金貨國との爲換は其割合に下落して大に輸出貿易を奬勵す可き筈なるに實際は全く然らずして爲換は銀價變動の爲めに左右せられざるの觀あり試に其一斑を示せば左の如し

     倫敦銀塊相塲    倫 敦 參     紐 育 參

      銀塊一オンス   着 爲 換     着 爲 換  

        片      志  片       弗

 五月一日  二八十六分の三 二〇〇四分の一   四九四分の一

 六月一日  二七八分の五  一一一十六分の十三 四八二分の一

 七月一日  二七八分の三  二〇〇       四八八分の五

 八月一日  二六八分の五  二〇〇       四八八分の五

 八月四日  二六二分の一  二〇〇       四八八分の五

 八月七日  二五四分の三  二〇〇       四八二分の一

 八月十日  二五十六分の十一 二〇〇      四八八分の五

 八月十三日 二五四分の三  二〇〇       四八八分の五

近年來我輸出貿易が非常に發達すると共に内地に工業の勃興したるは銀價下落の與て力ある所にして銀價下落すれば我國の物價は金に計算して低廉となるを以て金貨國への輸出は自から容易にして數量を増したる其上に金貨國の物價は銀貨國に對して自から騰貴したるを以て從來外國より輸入したる物品も内地に於て漸次に製造することとなり更に進んで海外に輸出するに至りしが爲めに外ならず然るに本年十月一日以後いよいよ金貨本位實施の上は假令ひ銀價に下落を見るも我輸出貿易は少しも奬勵を受けざるのみか支那其他の銀貨國に對する輸出は非常に困難となり折角海外に擴張したる販路も是等の銀貨國に奪はれて我商工業は非常の逆運に陷らざるを得ざる可しとは幣制改革に對して可否得失の議論喧しかりし時より識者の非常に憂慮したる所なりしが金貨本位の未だ實施せられざる今日に於て早く既に貿易上に右の結果を見んとするこそ恐ろしけれ即ち倫敦の銀相塲が一オンス二十五片四分の三ならんには倫敦參着の爲換は二十一片、六一内外に下落す可き筈なるに却て二十四片の相塲を保つは全く金貨本位の實施を目前に控へ居るが爲めに外ならず此の如くなれば銀價が如何に下落するも金貨國に向て毫も輸出を奬勵するの効なきのみか尚ほ其上にも從來我國と上海との爲換は七十二兩内外の相塲を保ちしに近日に至り次第に騰貴して八十兩に上れり是れ亦金貨本位の實施が眼前に迫れるが爲めにして我國は支那に對して恰も從來金貨國が東洋銀貨國に臨めるが如き位置に立ち漸く發達の氣運に向ひたる輸出も今後は斷念の外なかる可し若しも我國に幣制改革の事なく在來の銀貨國ならんには今日こそ銀價の下落に乘じ大に生絲製茶絹織物等を西洋金貨國へ輸出して販路を擴張し又支那に對しても着々貿易上の基礎を固うするの好時機なるに幣制改革の一事の爲めに却て非常の逆運に陷り今後果して金貨本位實施の後に至るも銀價下落の勢にして繼續するときは貿易上の困難はいよいよ甚だしきを加ふることなる可し或は近日銀價の下落は我國に於て幣制改革の準備として銀貨の鑄造を制限すると共に金貨の吸收に勉むるが爲めに外ならず我幣制にして從來の儘ならんには决して銀價の下落を見ざりしならんと云ふ者もあれども金騰銀落は今日世界の大勢にして現に今度の變動に就て見るも露西亞が近來盛に金貨を吸收したると印度に飢饉時疫流行して銀の需要大に減じたるこそ主要の原因にして我幣制改革の有無に拘はらず銀價の下落は實際免かれざる所なりしならんに此際前後の考もなく幣制改革を斷行して貿易擴張の好機會を逸したるこそ返す返すも遺憾なれ抑も昨年來貿易上に輸入超過の勢を呈し本年に至りて其勢一層甚だしからんとするの趣あるは世人の大に憂慮する所にして今日の儘にて經過するときは結局巨額の正貨流出を免かれざる可し正貨の流出敢て恐る可きに非ず其流出は則ち經濟社會の變態を救ふの効ある可けれども只その勢にして急激なるときは啻に金貨本位を維持するに困難のみならず一時物價の暴落を招きて經濟社會の紊亂を見るやも計る可らず左れば今日最も希ふ可きは大に輸出を奬勵して物産の販路を海外に擴張すると同時に之に依て自から輸入超過の變態を救濟するに在り當局者も既に此邊に憂慮して救濟策の工夫中なる由なるに一方には金貨本位を實施して却て輸出貿易の發達を妨害せんとするは何事ぞや現に銀價の下落に拘はらず輸出は更らに増進せず依然輸入超過の一方にして貿易の不平均いよいよ甚しからんとするは取りも直さず幣制改革の餘響、當局者が自から招きたる所にして其害の大なるに至て憂慮自から惜く能はざる其有樣は恰も自から傷けて其苦を訴ふるものに異ならず當局者の自家撞着は今に始めぬ事ながら幣制改革の輕擧暴斷は此に至ていよいよ狂愚の實を暴露したるものと云ふ可し