「工業發達の原因」
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時事新報に掲載された「工業發達の原因」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
工業發達の原因
近年來我國工業の發達は驚く可し鐵道電信を始めとして各種の製造、從前には全く無かりしものが續々興起して孰れも繁昌の色ありと云ふ或は工業製造は天然の産物に異なり苟も資金さへ投すれば何れの地にも發達せざるはなし即ち近年來の發達は其事に金を投ずるもの多きに至りしが爲めに外ならずとの説あれども工業の發達は單に資金の力のみに非ず第一の必要は事に慣るゝの一事にして即ち熟練を積むことなり如何なる器械にても金を投すれば之を得ること容易なりと云ふも實際に其器械を活動せしむるものは人の手にして熟練の素あるに非ざれば動かすを得ず明治初年以來外國より器械を買入れながら運用意の如くならずして失敗したるの例少なからず當時の器械も今日の器械も其働は同樣にして本來の物には出來不出來の別なきに拘はらず從前は何分にも動かざしりものが今は運用自在なりと云ふ熟練の功に非ずして何ぞや例へば家屋の建築法にしても前年は煉瓦造りの家を造るに費用も多く手間も費しながら其出來上りを見れば體裁の惡しき其上に建築粗漏にして容易に破損の患を免かれざりしに今日は建築費も著しく減じて却て堅牢美麗の建物を見るに至りしが如き大工の熟練に外ならず又京濱間の鐵道の如き外國より技師を雇入れ非常の金を費して漸く敷設せしめたるのみならず其運轉の如きも數年の間は外國人を使用したるに非ずや然るに近來官私の鐵道は非常の進歩にして既に二千哩以上に達したる其鐵道の工事は一切日本人の手に成りて敷設の費用も甚だ廉なりと云ふ我技術上の熟練を見る可し抑も熟練とは事に慣るゝに外ならず然かも慣るゝの極處に至れば其妙、神に入りて奇々妙々殆んど解す可らざるの觀を呈することあれども只是れ熟練の功を積み足るに過ぎざるのみ喩へば彼の源水の獨樂の藝を見るに其獨樂は木と金とにて造りたるものにして手に把て細に之を檢するも毫も異状を認めず別に秘密の仕掛あるに非ざれども一たび源水の手に上て力を付せられ廻轉を始むるときは綱を渡り袖を傳はり危機一髪の間に進止自在のみか扇を以て招けば來り拂へば去り操縦意の如く恰も人言を解して命令を聞くものゝ如し觀客の喝采を博する所以なれども其獨樂が源水の手に在れば操縦自在にして恰も命令を聞きながら素人の手に合はざるは單に慣るゝと慣れざるの相違にして何人と雖も經驗の數を積むときは源水の技倆を得ること難きに非ず熟練の効能驚く可きを知る可し左れば近年我事業の發達は自から種々の原因ある中にも日本の技師職工が一般に器械の取扱に熟したるの一事こそ最も著しき點にして從前は同じ器械を得ながらも之を運用するを得ず外國人の手際を見るときは恰も源水同樣、奇々妙々として只驚きたるものが今は自から取扱の手心に熟したるのみか自から之を〓〓して却て源水をして感服せしむるに足る可しと云ふ是れぞ發達の〓〓〓〓こそあれ而して其熟練は手と〓〓〓る〓にして〓れんと欲して忘る可らず今後ますます進んでますます慣るゝの一方のみなれば我國の工業は既に巳に確率の基を成したるものにして前途多望なりと云ふ可し否な今日と雖も前に記したる鐵道電信を始めとして各種の工業製造は日本人の手を以て全く無きものを造り出したることなれば其造り出したる數だけは既に國の富源を增したるものに外ならず我輩が毎度國力の增進を云々するは此實際の數に徴して無稽ならざるを認む可し或は製鐵其他の大工業は日本人の力にては容易に成る可らずなど云ふものなきに非ざれども其成否は只慣るゝと慣れざるとの問題のみ慣るゝとは經驗を積むの謂にして經驗なしに熟練は得べからず此點よりすれば鋼鐵の如き軍艦の如き必要のものは成る可く内地にて製造せしむ可し其費用の如き外國より買入るゝに比して割合に大なることならんなれども之が爲めに我國人の手に熟練を得る其効能は非常のものにして目前多少の損得には換へ難し序ながら一言するものなり