「拓殖務廢止は手段のみ」
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時事新報に掲載された「拓殖務廢止は手段のみ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
拓殖務廢止は手段のみ
政府はいよいよ拓殖務省を廢したり至當の處置にして滿天下に異議はなかる可し抑も我輩が其廢止を主張したるは廢止を目的として主張したるに非ず目的は臺灣統治上の改革にして其改革の手段として先づ拓省の廢止を主張したるのみ左れば我輩に於ては今回の廢止を改革の第一着手と認むるものにして今後の處置を如何す可きやと云ふに第一に現在の官制を改め總督に無上の權力を與へ恰も臺灣國王に封じたる積りにて一切委任し第一流の政治家をして其任に當らしむることなり試みに今の政客中に其人を求むれば西郷氏の如き先年臺灣の征討に従事したる縁故もありて名聲威望嶋内に著しき其上に大膽無頓着の性質は寧ろ新領地の統御に適當ならんなれば此人などこそ差當り然る可しと思へども其人選に就ては敢て誰れ彼れを云はず兎に角に第一流の政客を推すことゝして之に無上の權力を附し恩威並び行はれて統治の目的を達せしむ可きのみ或は施政の方針に就ては務めて懐柔を旨として彼の舊慣古俗は其儘にして之に觸るゝことを戒しめ嶋民をして眞實心の底より歸服せしむ可しとの説あり即ち恩の一方のみに重きを置きたるものなれども一方に威の恐る可きものなくして單に恩を施さんとす只彼等をして狎れしむるに過ぎず嶋民統御の方に非ざるなり既に恩威並び行ふと云ふ懐柔撫育の手段も固より必要なれども一方には秋霜烈日、他をして慄然たらしむるの威を示さゞる可らず即ち今日の辭を以て形容すれば専制壓抑の實を行ふものにして世間或は異議もあらんなれども古今東西いづれの國を問はず新附の人民を御するに苟も専制壓抑の實を缺て目的を達したるものあるや否や或は英の殖民地は云々、拂の属領は云々など他の例に口を藉るものなきに非ず單に其土地を収めて利益を絞り取るのみの目的ならんには其例に從ふも差支なしと雖も臺灣の我國に於けるは全く事情を殊にして其土地を利すると同時に外に對して之を守るの必要は毫も内地に異ならず即ち四國九州と同樣に見る可きものなれば如何なる手段を施しても速に統一の實を擧げざる可らず即ち我輩が恩威並行を主張する所以にして實際緩急の手心に至りては全權の當局者を得て之に一任せんとするものなり或は又總督に全權を付して恰も専制の實を行はしむるときは自から私利を營むの餘地を與ふるものなり所謂官紀振粛の趣旨を如何せんなど云ふものならんなれども小膽臆病取るに足らざるの説のみ抑も嶋地の現状を見れば萬事不便の其中にも氣候風土甚だ可ならずして病死者の割合は内地に比して甚だ多し即ち其土地に住するは實際に生命の危險を冒しつゝあるものなれば何か利するの目的もなきに誰れか好んで行くものあらんや論者の如きも居ながら窮屈の論は唱ふれども自から行くを好まざることならん左れば苟も國家の害とならざる限り銘々に自から利するは勝手次第にして或は商賣上に事業上に大に利したりとて何等の差支ある可きや彼の地に行くものは颯々と進んで利益を謀る可きものなり或は薩摩人をして局に當らしむるときは其利は自から薩人に歸し長州人をして當らしむるときは自から長人に歸す可し臺灣の利を擧て薩長人に専らにせしむるは甚だ不都合なりとて此處にも又例の藩閥論を持出さんか是れ又聞くに足らざる苦情にこそあれ薩人と云ひ長人と云ひ等しく日本人のみ日本人の利は即ち日本國の利にして誰れ彼れを問ふの必要はある可らず自から危險を冒して事に當るものが自から利す至當の事にして毫も怪むに足らず我輩の如き此邊の事は一切不問に付して顧みざるものなれども實際には自から法律の制裁もありて不正の事は容易に行はる可きに非ず假令ひ當局者の自由に一任したりとて公共の利益を擧げて全く一身の私に収むるが如き不始末なきは我輩の確かに保證する所なれば臺灣王に封じたる覺悟を以て一切の權力を委任し思ひ切て手腕を奮はしめ一日も早く統治の目的を達せしめざる可らず世間或は拓殖務省の廢止を以て行政整理の第一着手として其決斷を稱するものなきに非ざれども我輩は其廢止をば單に臺灣改革の手段と認めて更らに目的の實行を促すものなり