「文官任用令の改正」
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時事新報に掲載された「文官任用令の改正」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
文官任用令の改正
政府は今度いよいよ行政を整理する覺悟にて新に委員を任命したるよし定めて種々の考案もあることならんが文官任用令の如きは第一に改正せられたきものなり現行規則に據れば奏任官は滿三年間高等文官若しくは判検事の職を務めたる者の外、試驗に依て採用せらるゝ定にして判任官も官公立尋常中學校又は之と同等以上と認められたる官公立學校の卒業生等を除くの外、總て試驗を經ざる可らず試驗採用必ずしも不可ならず情實の弊を防ぐに於て多少の効能ある可しと雖も今日と爲りては自由任用の方寧ろ便利多かる可し始め試驗登用法を定めたるは明治二十年七月にして當時議會は未だ開けず政府は純然たる藩閥情實の政府にして異類を近けず人を採るには必ず同類の中に求めて永く薩長の勢力を維持せんことを勉め在野の政客は極力これを攻撃して一旦議會開けなば一擧にして藩閥を倒す可しとの勢を示したる其時の執政は伊藤にして一面に於ては官職を以て薩長の専有に歸するの不可を察し他の一面に於ては民情を和するの一手段として公平に人を採るの必要を感じたるか誰彼の區別なく試驗に及第したるものを官吏とするの法を定めたり藩閥中の人と雖も徒に縁故を以て官吏たる能はず其以外の者と雖も相當の學識ある者は官海に入り得べき門戸を開きたるものにして自から英斷と云はざるを得ず爲めに情實の弊を減じたる其効能は没す可らずと雖も今や形勢大に變じて藩閥も敢て勢力を恣にするを得ず政府は次第に民意に依て〓さるゝ其證據は曾て讐敵視したる政黨と提携して民論を行ひ民黨の人を容れたる事實に徴するも明白にして與論が臺灣の行政を革新す可しと云へば則ち其事に着手し拓殖務省を廢す可しと唱ふれば則ち之を廢したるが如き一として民意を貴ぶの證ならざるはなし既に民意の上に立つ以上は人望を重んずるや勿論にして人望を重んずれば假令ひ官吏の任用を自由にしたればとて情實を以て漫に無藝無能の人を採用して世の批難を招く可きに非ず斯の如きは實に自家立脚の地を危うするものなればなり現に今の政府は人材登用と〓して新に多數の官吏を任命したる其中には一二の怪む可き人物なきに非ざれども概して先づ當世の人材にして舊官吏に比すれば勝るも劣ることなし情實の弊左まで恐るゝに足らずとすれば別に窮屈なる試驗法を存して人材登用の門戸を狭くするは策の得たるものに非ず元來試驗なるものは大凡そ人の學藝を計ることを得れども其才能品行の如何を〓ること能はず否な學藝と〓も一回の試驗にて優劣を〓するは容易に非ず無論及第と豫想したるものが落第して却て意外なる人の偸倖するは毎度の例なり世には試驗を受く可き資格もありて才能もあれども萬一の失〓を恐れて仕官を思ひ止まるものあり或は試驗に及第は六かしきも普通の教育はあり且つ〓性怜悧にして立派に其任に堪ふるものにして〓〓〓の關門に〓〓れて入ること能はざるものあり〓〓〓任官にて〓〓す可き人物を任用〓〓ならざる〓〓是非なく勅〓官とすることもある可し心配するに足らざる情〓を心配して是等の不便を犯すは智者の事に非ざるなり然れども若しも尚ほ其結果如何を疑ひ敢て試驗法全廢の勇氣なくんば切めては奏任官だけにても無試驗採用と改めたきものなり判任官は其數(凡そ三萬餘人)少なからざる上に地位も低ければ或は其任用に付て多少の不都合あるも世の注目を免るゝの掛念もあらんかなれども奏任官は其數三千五百、孰れも要職に任ずるものにして若しも其任用に於て著しき不都合あれば忽ち世の物論を招くは必然なり當局者に於ても大に注意せざるを得ず特に相應の學識をゆうすること明白なるものをも尚ほ試驗の上ならでは採用せずと云ふが如きは愚の甚だしきものと云ふ可し或る高等の學校を卒業したる者は自から高等の學識を具ふる筈にして多少の例外あるも其卒業證書は先づ以て之を證明するものなり民間の會社銀行等に於て人を採るには學校の卒業證書を以て學識深淺の證據として此外に問ふ所は只その人の才能品行如何に在るのみ然るに政府は獨り總ての學校を信ぜず如何なる證書を有する者も試驗を經ざれば採用せずと云ふ徒に無用の手數を費して人材登用の門戸を窮屈にするものと云ふ可し世間の信ずる學校は政府も亦信じて可なり例へば官私の大學、高等学校若しくは之を同等と認められたる諸學校の卒業生の如きは高等官として其職務を行ふに差支なき丈けの學識を具ふるものとして無試驗任用の道を開くも事の實際に不都合なかる可し我輩の敢て當局者に勸告する所なり