「富士艦長を歡迎す可し」
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時事新報に掲載された「富士艦長を歡迎す可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
富士艦長を歡迎す可し
英國にて製造したる軍艦富士の回航に付き蘇西運河の通過は最初より掛念したる所にして或は喜望峰を迂廻す可しとの説さへなきに非ず盖し該運河の深さは中央部二十七呎と稱すれども實際は二十六呎以内の吃水船に非ざれば差支なく通過するを得ず然るに富士艦の吃水は二十六呎六吋にして此運河を通過するには大砲彈藥等の搭載物を卸して重量を減ぜざるを得ず其積卸は非常の手數にして爲めに大に時日を費すの恐れあるが故に寧ろ喜望峰を迂廻す可しとの説も出でたることなりしならんなれども其回航はいよいよ運河通過と決して過日英國を解纜したるが去る三日ポートセツドに着し夫れより運河を容易に通過して去る六日蘇西港に着し同八日亞丁へ向け抜錨する旨、同艦長より電報ありしと云ふ(其後の報によれば十六日亞丁を發したり)實際には大砲等の搭載物を卸して船脚を輕くするが爲めに數日間はポートセツドに碇泊し又通過の上は積込みの爲めに更らに數日間を費すことならんと一般に豫期したる所なるに右の報知に據れば夫等の手數もなくして直に抜錨したるが如くなれば別に重量品の積卸を爲さず只石炭の量を減じたる位にて容易に通過したるものならんと云へり果して然らば富士艦の運河通過は實に從前の例を破り破天荒の功を成したるものにして運河の效能も此に至りてますます著しきを加へたり此一事は單に運河の名譽のみならず英國の名譽にして其名譽は富士艦に由て世界に發揚せられたるものと云ふ可し又聞く所に據れば同艦の製造は世界最新の設計に成りて艦體機關の構造と云ひ装甲の方法と云ひ又兵器の装置と云ひ新工風の設備少なからざる中にも殊に造船術進歩の新面目として技術社會の耳目を驚かしたるは進水の一事なりしと云ふ從來の式に據れば進水は成る可く艦體の輕きを欲するが故に總て重量の大なる装置品は水中に卸したる上にて据付くるの例なるに同艦の製造に就ては大砲の如き極めて大なるものゝ外は一切陸上にて装置し其重量を載せたる儘にて船卸しを行ひたるに艦體飛ぶが如く一點の故障もなく目出度く進水式を了りしと云ふ實に英國造船術の名譽にして其名譽は又富士艦に由て發揚せられたり左れば富士艦は其製造回航に付き端なく世界の二大前例を破りたるものを云ふ可し而して其名譽は蘇西運河の効能と英國造船術の進歩とにして自から他國の事なれども偶然にも之を世界に發揚せしめたるものは即ち我富士艦にして自から記憶す可き尚ほ其上に同艦の回航に付き我國人が自國の名譽として大に誇る可きものは艦長三浦大佐の技倆なり同艦の設計は自から別として其回航に搭載物積卸の手數を爲さずして容易に蘇西運河を通過したるの事實果して確ならんには運河の效能固より著しきに相〓なしと雖も世界に空前の事を企てゝ目的を達し〓〓破天荒の功を成したるは單に一時の〓氣に非ず經〓〓〓深く計畫して果して〓くと信じたる上にて斷行したることならん〓〓の〓〓、確なるものに非ざれば能はざる所にして我輩が三浦艦長の技倆を認むる所以なり聞く所に據れば同艦長は決して冒險的の人物に非ず小心翼々他人の一笑に付し去る可き細事をも非常に心配して容易に決せざる其一點を見れば恰も臆病なるが如くなれども細心熟慮一たび決するときは他の考へ到らざる大決斷を斷じて毫も躊躇の色なしと云ふ畢竟平生の心掛と多年の熟練とより腕前を鍛へ成したるものにして今度の運河通過の如きも内外人の耳目を驚かしながら當人に於ては胸算既に定まりて豫め成功を期したることなりしならん單に一人の名譽のみならず日本海軍の名譽として世界に跨る可きものなり富士艦の回航固より祝す可しと雖も其艦長に大佐の如き人物ありて世界に空前の名譽を輝かしたる一事は更に大に祝せざるを得ず我輩は我國人が富士艦の安着を喜ぶと共に大に艦長其人を歡迎せんことを希望するものなり