「臺灣の事急なり」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「臺灣の事急なり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

臺灣の事急なり

臺灣の事に付ては既にしばしば記す所ありしかども其近状を見れば更らに一言せざるを得ず久しく評議中なる總督府の新官制も略ぼ决定したるよしなれば不日發表せらるることならんが扨その新官制の新なる點は如何と云ふに總督は矢張り武官なれども其地位を高めて内閣に列せしめ別に副總督を置て實際の事務を處理せしむると共に從來、民政軍務の二局なりしを改めて政務、財務、軍務の三局と爲し政務局長は副總督に於て兼任する筈なりと云ふ總督の地位を高むるは善けれども何故に之を武官に限るか現在武官の中に適任者あれば實際其人を探て差支なけれども後日文官中に適任者を見出すこともある可し法文の上に於ては文武孰れを採るも苦しからざる樣、餘地を存し置くこそ便利なれ又副總督を置くも至當の事にして民政局を割て財務、政務の二局としたるも別に不都合はなかる可し要するに官制は死物にして治績の擧ると否とは實に人に在り總督の權如何に大なるも運用其人を得ずんば到底何事をも爲すに足らざるのみか却て不利を釀すなどある可し又その權力も人に依て實際に消長を免る可らず例へば同列の閣員中にも自から實權の輕重あるを見るが如し左れば其人選こそ大切なりとして聊か我輩の注文を云はんに古風の人は斷じて採る可らず名醫の名高しと雖も漢法醫には病人を託すること能はず碩學鴻儒と雖も漢學者は今日の子弟を教育するに足らず假令ひ氣力は慥にして性質は正直なりとするも舊思想の人は到底文明の政治を行ふに堪へざるなる論より證據、事實を見る可し目下臺灣嶋政の紛亂して拾收す可らざるは何故なるか又曾て朝鮮に於て意外の珍事を引起し我封韓政略をして一敗地に塗れしめたるものは如何なる種類の人なるか此を思ひ彼を想へば所謂精神家なる者の用ふるに足らざるを知る可し盖し此流の人人は其氣質に於て愛す可きものなきに非ざれども何分にも時勢を視るの明なくして何處を押せば如何なる音を發するやを知らず恰も庸醫が人身の生理を知らず叨に藥を投じて却て病を重からしむるが如く一の弊害を見れば表面より直に押潰さんとするが故に往往意外の間違を生ずるなり新思想の人に非ざれば一切無用なれども尚ほ一歩を進むれば單に新思想なるを以て足れりとせず總督の如きは威望特に高くして内外を壓し入て閣議に參するときは則ち臺灣全嶋を代表して其意見を貫き出て嶋政を督するときは即ち部下の面面が恰も父の如く尊敬する程の大人物ならざる可らず内に於ては其政策を斥けられ外に於ては配下の官民に輕ぜらるる樣の次第にては到底嶋政の基礎を定むる能はず治績は遂に望む可らざるなり而して今實際に斯くの如き人物ありやと云ふに文明の新思想を具ふるものは世間其人に乏しからず威望の高き人物も亦少なからざることならんと雖も二つの資格を兼備する者は甚だ稀なり偶偶之れあるも或は自から此任を悦ばず或は他に用ひ所ありて動かすを得ず結局注文通りの人を得ること難かる可きか是非もなき次第なり切めては無色無臭の人を選ばざる可らず實際の仕事に任ずる者は副總督にして總督は只その大體を監督するものなれば副總督にして文明流の教育あり施設經營の才ある者ならんには總督は必ずしも敏腕家なるを要せず威望ありて内外に重きを持する者ならば則ち可ならんのみ腦中空漠として拘泥する所なく而かも大勢力ありて人を服するに足る者は彼の一種の偏窟なる思想を以て辻褄の合はぬ政治を施さんとする者に勝るや萬萬なり夢にも古風の人は採る可らずとして更らに我輩の希望を云へば其任免を速にすることなり新官制の如きも實は拓殖務省の廢止と共に發表す可きものにして總督府官吏の更迭も同時に行ふ可き筈なり一旦改革に着手しながら中途に至て因循决せず官吏をして疑惧の間に彷徨せしむるは無稽の甚だしきものにして自から政務の澁滯を免る可らず現に乃木總督は時勢の非なるを察して辭職の内意を申出でたりとの風説ありて總督府中恰も浮足と爲り誰とて眞面目に仕事する者なしと云ふ左なきだに彼の疑獄事件より官吏社會の騷動一方ならず捕縛せらるるものあり又非免せらるるものありて欠員も少なからず例へば財務部長及び通信部長の如き非職のままにて久しく後任を得ず民政局長も數十日前、既に任命ありしかども未だ任に赴かず高等法院長の進退に付ても今や悶着最中にして百般の施政自から中止の姿なるに剩へ改革は容易に埒明かずして徒に人身を疑惧せしむるに於ては全嶋を擧て恰も無政府の有樣に陷らざるを得ず當局者は何故速に事を决せざるか單に臺灣住民の迷惑のみならず亦實に帝國政府の威信に關し外國人は日本國民の生地なきを笑ひ内國人民は當局者の不活溌を怒る可し何れの點より見るも猶豫す可らざる問題なれば一日も早く始末せんこと我輩の呉呉も祈る所なり