「外交費」
このページについて
時事新報に掲載された「外交費」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
百般の施政を改良する爲め今後ますます論を要するは勿論にして中にも外交の如きは特に
然るものなり是れまで靜かなる片田舎に閑居せし者が俄に立身して風波烈しき世界の大舞
臺に乘出したることなれば運動費の增加は〓る可らず今我が外交費の增減を見るに明治十
四年には七十七萬九千餘圓にして十五年、十七年を除きては七八十萬圓の〓を徃來せしに
二十七年には增して九十五萬圓となり二十八年には百三十四萬八十餘圓に上り二十九年に
は百四十萬、本年の豫算額は百六十萬に達したり隨分著しき增加なれども銀の下落を勘定
に入るれば驚くに足らず一昨年度に於ける英國の外交費は四百三十六萬餘圓にして國力の
上より見れば我の費用决して少なからざるが如くなれども日本は新進の國にして今より大
に伸びんとするものなれば總ての入費を〓出すに單に國力のみを標準とす可らず軍備擴張
も〓〓〓〓も此の論點より論ずれば或は身分不相應と云ふを得べし且つ佛國は凡そ六百三
十萬、露國は五百萬、獨逸は八百六十萬、以太利は三百三十三萬餘圓にして西班牙すら百
八十餘萬圓を費すことなれば我の百六十萬〓〓多しとするに足らず更らに各國民一人前の
負擔〓〓〓るに英は十一錢一厘、佛は十六錢二厘、獨は十六錢〓厘、以太利は十一錢八厘、
西班牙は十錢二厘、〓〓〓、〓國は各々十五錢五厘に十三錢九厘にして日本〓僅に三錢八
厘のみ以て其負擔の重からざるを知る可し左れば〓我公費の〓〓にも著しき相違ありて例
へば北京駐在の英公使は四萬八千八百餘圓、佛公使は三萬二千八百餘圓、獨逸公使は二萬
八千六百餘圓なるに日本公使は僅に一萬一千百餘圓に過ぎず同じく國を代表して同等の地
位に立ち同等の交際を爲す可き者にして其俸給は他の四分の一にも及ばずとすれば萬事に
付て自から不便なきを得ず又その〓〓費の如きも甚だ輕少にして在英公使館は二千圓、在
佛國〓は各々千八百餘圓、在清及び朝鮮は九百三十圓に過ぎず歐米の〓交社會に於て客を
招待するには通常一人前五十圓〓外を要する〓〓〓〓〓中には百五十圓も費す者あること
なれば日本の在外公使館にては僅に年に一度の〓會を〓き得る〓〓公使其人は〓〓に敏腕
家と〓〓〓も〓際〓〓に〓〓すを得ず特に歐米の外交官中には金滿家〓〓〓〓〓〓其俸給
の如きは只一時の小遣ひ錢と〓〓別に大に〓〓散じて交際に〓〓るも〓〓なからざるよし
なにとも日本の外交官は多くは〓生上〓の人々にして故に巨萬のげある〓〓など俸給を以
て自身及び家族を養ふ其上に老後の用意をもせざる可らず是等の事情より先年大に〓〓を
採用して外國に遣はしたることあり錢を散ずるの一點に於ては不如意なかりしことなら〓
〓雖も〓〓は矢張り〓〓な〓〓〓活世界の用に立つ〓〓〓〓ず日さ然らずこと此主義を〓
し以前の〓〓新進の若手を用ふることゝ爲ら〓に付ては復た交際上に不隨意なきを得ず費
用の增加は遂に免る可らず勿論外交の困難は單に錢のみを以て數ふ可きに非ず當局の人に
〓〓不敏ならば何〓〓錢を給するも〓能は少なかる可しと此の多事多難の今日に於て漫に
費用を〓んで其運動を自由ならしめざるが如きは我輩の取らざる所なり一身の健康を保つ
には半生飮食に注意すると共に運動を怠る可らず萬一病の兆候を見れば早速轉地するなり
醫藥を服するなり其未だ甚だしからざるに救ふの士夫肝〓なり外交も亦斯の如し日常細に
交際國の内情を探り又其官民に交を〓うして萬一何か事件を生ぜんとする塲合には〓〓之
を〓し之に處するの用意なかる可らず無事の非似た〓〓として公使館〓に蟄居し有事の際
には事既に〓して後始めて其意外なるに驚く〓の次第にては迚も外交〓〓に優勢を占むる
こと能はず而して是等の運動に先づものは即ち費用にして錢をさへ惜まざれば〓を未〓に
防ぐの工夫もなきに非ず布哇朝鮮等の〓〓に〓して其然るを察す可し〓に日本國民は貧乏
に非ず此上の負擔に堪ふるは明白なれば外交官に敏腕家を選ぶと共に其費用を惜むなから
んこと我輩の希望する所なり