「今後の幣制問題」
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時事新報に掲載された「今後の幣制問題」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
今後の幣制問題
將來金銀の比價に如何なる變動を見る可きや前途明白ならざる今日、我國が金貨國として被むる可き影響は容易に推測する能はざれども兎に角に目下の處、金銀の比價が一定不動に歸す可き事情も見えざれば今後その變動の度ごとに我國と銀貨國との爲換相塲は常に動搖して貿易は恰も投機の姿を成し又金價の變動に連れて内國物價の動搖も從來銀貨國たりし時に異ならざる可し既に斯る欠點ある以上は如何に熱心の金貨論者と雖も金貨本位を以て完全の幣制と云ふ能はざるは當然にして假令ひ改革に改革を重ぬるの譏あるも他に完全の制度あらんには多少の損得に拘らず改革を斷行するの覺悟こそ肝要なれ抑も幣制として最も完全なるは貨幣の價格が一定不動にして物價に激變を及ぼさざるに在り其本位が金たると銀たるとは敢て擇ぶ所に非ざれども價格の變動は單本位制の下に到底免かるる能はざる欠點にして之を避けんとするには勢、複本位制を行ふて金銀貨の自由鑄造を認めざる可らず金銀孰れかの産出額増加して其價格下落すれば直に鑄造額を増して比價を舊に復せしめ内國の物價に毫も影響を及ぼさざるは複本位制の作用にして今世紀の初め南北亞米利加に銀鑛の發見あり又千八百四十八年後には濠洲并に米國に金鑛の發見ありて金銀の産出額に非常の變動を與へたるに拘らず其比價が常に一と一五、半内外に上下せるは全く米佛其他二三の複本位國ありて右の作用を施したるが爲めに外ならず複本位が完全なる幣制として世人に認めらるるは要するに斯る作用あるが爲めなれども今日の如く比價の變動頻繁の塲合に一國の獨力を以て複本位制を取るは危險至極にして必らずや世界各國の同盟を待たざる可らず米佛二國の政治家が年來複本位制の利益を認めながら實施の一段に至れば萬國貨幣會議を開て各國の恊力を仰がんとするも此邊の事情あるが故にして今日複本位の成否は有力なる商業國が一致すると否とに依るものなり然らば之に對する各國の意嚮は如何と云ふに金貨國の最も苦しむ所は物價暴落の一事にして下落の勢は昨今に至るも猶ほ止まず之が爲めに商工業は非常の不景氣に陷りて破産停業のものも少なからず勞働者の需要は■(にすい+「咸」)じ資本は其用途を失ひ事業發達の氣運を妨げられたる其上に貿易上に於ては常に勝を東洋の銀貨國に制せらるるに至れり其原因は諸國が二十年來幣制を改革して排銀策を實施し金貨の暴騰を促したる爲めにして自から招きたる失策に外ならず其比價の恢復に熱心なるも怪しむに足らざるなり千八百七十八年以後の萬國貨幣會議は何れも萬國複本位制設立の目的を以て開會せられたるものなるに常に决議の纏まらざりし原因は英國が金價下落の爲めに債主國としての利益を傷けられんを恐れて常に之に抗議したるにあれども何ぞ計らん從來英國人が資本を放下せる米國濠洲印度の經濟社會は金價投機の爲めに非常の不景氣に陷りて資本家中其地の事業に關係して失敗せる者も少なからず假令ひ之を手元に回收するも内國の事業も矢張り不景氣なれば低利を甘んじても公債等に放下せざるを得ざるの有樣にして今日に至りては明に金價暴騰の弊を感じ其勢を制して事業の振興を望むもの多しと云ふ斯くの如く世界の金貨國が銀價の恢復に熱心なるを見れば萬國複本位制の成立は决して架空の望に非ざる可し其方法は今更ら云ふまでもなく有力の商業國が同盟して金銀の比價を定め在來の金貨國は一時銀貨の自由鑄造を止めにして單に政府に於てのみ鑄造發行し其市價の自から法定比價と一致したる後に至りて金銀貨の自由鑄造を行へば爾後同盟國の爲換相塲は一定して貿易上に非常の便利を致し金銀の産出に變動あるも物價は動搖せずして幣制上より經濟社會の紊亂を招くの憂なきに至る可し現に今日熱心に銀價の恢復を謀るものは米國にして現任大統領が選擧競爭の際幣制の基礎を堅固にす可しと云へる豫約を實行せんとするものなり其恢復の方法は第一に萬國複本位制の成立にあり若しも容易に成立の見込なしとすれば或は三億七千八百萬弗の銀貨并に一億五千六百萬弗の銀券を處分して純然たる金貨本位を取るやも計られず然らば萬國複本位は一頓挫を來す可しとの説もあれども此手段は却て金價の騰貴を促して米國自から苦しむの結果あるのみなれば容易に急激の處分に出づることはなかる可し旁旁複本位制の前途は金貨論者お唱ふるが如く否運のものに非ざれば其成立の時こそ我國が眞に幣制を改革するの時機にして或は機を見て其成立に助力するも决して不得策なりと云ふ可らず世人が常に各國貨幣政策の如何を察して緩急の凖備を施し完全の幣制に移らんこと我輩の切望する所なり