「日本銀行の獨立」
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時事新報に掲載された「日本銀行の獨立」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
日本銀行の獨立
政權過大にして商權の振はざるは國運進歩の大障碍なり商人たるものは高く自ら標致して敢て政客輩の顰笑に頓着せざる可しとは毎度勸告したる所にして今の商人が徒に權門に出入し奇利を僥倖するを以て能事畢れりとせずして較較獨立の氣象を具ふるに至りたるは我輩の深く喜ぶ所なれども我輩は更らに一歩を進めて商業の全く政治外に獨立せん事を祈りその獨立の第一着手として差當り日本銀行の獨立を全うせんことを望む者なり日本銀行は言ふ迄もなく紙幣發行の特權を賦與せられて商業社會の樞機を握る者なれば假令ひ其獨立は取りも直さず商業社會の獨立なりと云ひ難きも自から全體の獨立に至大の關係なきを得ず然らば日本銀行の獨立とは如何と云ふに金利昂低の全權を總裁に掌握せしむる事是れなり從來日本銀行が金利を昂低するには先づ大藏大臣の認可を受くるの成規にして單に認可と云ふものの其實は指揮决定の意味にして却て大臣より働き掛けに總裁に命令して金利を昂低せしめたる例も少なからざる者の如く要するに今日金利昂低の全權を握るものは日本銀行總裁にあらずして大藏大臣なりと云ふも不可なきのみか此權能は實に大臣の職權中最も樞要のものとして一般世人の認むる所なり今卒然大藏大臣最樞要の職權を擧げて日本銀行總裁に委任すと云はば或は其危險を慮る者もあらんかなれども元來大臣と云ひ總裁と云ふも實際の人物に左まで相違ある可きに非ざれば金利昂低の權能宜しく大臣に委す可きものならば之を大臣に委し總裁に委す可きものならば總裁に委して何の氣遣もある可らず然るに金利昂低の權能は其本來の性質に於て政府に屬す可きか資本家に委す可きものかと云へば無論資本家に屬す可きものと云はざるを得ず日本銀行總裁は大資本を代表する商人にして大藏大臣は政府の會計を處理する政客に過ぎず金利昂低の權能は總裁に屬して然る可きものなり我輩は漫に空理を弄して其權能を彼れに奪ひ此れに與へ以て徒に自から快しとする者に非ず唯此權能を政客に委すると商人に委するとは商業の獨立と否とに大關係あるを以て斷然之を移して總裁の手に委するの至當なるを認むるのみ例へば株式の賣買に從事する輩が自家の利害上第一に注意する所のものは金利の高低なるに其金利の昂低は擧て大藏大臣の掌中に在りとせば苟も機會の乘ず可き限り巧に大臣に近きて其意向を探り又之を搖かさんと試みる者多きも實際に無理ならず即ち所謂早耳連の耳朶大藏相の壁に接近し所謂紳商の足跡大藏の門に絶えざる所以なる可し此輩の獨立と否とは敢て意に介するに足らずとして眞成の實業家は如何と云ふに亦同樣の陋習を帶びざるに非ず例へば輸出貿易少しく不振にして生絲の横濱に堆積するあれば政府が豫て日本銀行に命じて低利貸附の恩典を正金銀行に與へ置くは此塲合に備へたるなりなど稱して先づ格外なる低利の貸附を正金銀行に逼り容易に聽入れざれば陰に陽に運動して問屋は總裁を訪問し荷主は大臣に哀願する等の始末を演ずることなきに非ず此の如き陋習は假令ひ金利昂低の全權を移して總裁に委するも全く消滅するを得ず曩に大臣の門に趨走せし者をして轉じて總裁の邸宅に向はしむるに過ぎずと云はんかなれども决して然らず今日金利昂低の全權は日本銀行の損益に殆んど無頓着なる大藏大臣の掌中にあればこそ其昂低より生ずる銀行の損益は株主の容喙し得ざる所なれども若しも總裁の一存を以つて之れを昂低し得ることとなならんには株主たるもの爭でか今日の状態に甘んぜんや總裁にして若しも金利を引き上ぐ可きに引き上げず引き下ぐ可きに引き下げずして銀行の利益を■(にすい+「咸」)殺したるの形跡あらんには株主は群起して之れを責め總裁は勢其地位に安んずること能はざるが故に自から銀行の利益を標凖として金利を昂低するの外なきに至る可し或は銀行の利益のみを標凖として金利を昂低せば銀行の株主は滿足す可きも一般社會は忽ち高利の害を受くるならんとの心配もあらんかなれども是れ亦杞憂のみ最高利必ずしも銀行の利益に非ず利息高きに失すれば貸金の全部乃至幾分は忽ち庫中に回り來りて無利息の者となり銀行の總收益は却て相當の低利にて資金の許す限り貸出すに如かざるの結果は普通の商店にて高價に少許の物を商ふよりは薄利に多額の品物を粉なして却て利益を見ると同理にして銀行の利益を標凖として金利を昂低せんには最高利の外に更らに最多額貸出の利益を忘る可らず最多額貸出の利益は優に過度の高利を制限するの力ある者なり語を換へて之を言へば日本銀行總裁は一方に兌換券を盡く貸出し得る所の利率を最低とし他の一方に於て確實有望なる事業中に就き純益最も多きものの純益を最高利率とし利率の高きに從て貸出總額漸次■(にすい+「咸」)少し終に最高利率に至りて貸出額皆無に歸するものとして收益の最も大なるは如何なる利率の處に在るやを計算し以て金利を昂低せざる可らず假りに二割を以て最高利率とし又近時の制限外兌換券を回收して制限内兌換券の全部を貸出すに適當の利率は八分なりとして最大收益點を求むれば概略左の如く
貸出總額 利 率 收益總額
百萬圓 割歩 萬圓
一八〇 八 一、四四〇
一六五 九 一、四八五
一五〇 一〇 一、五〇〇
一三五 一一 一、四四五
一二〇 一二 一、四四〇
一〇五 一三 一、三六五
九〇 一四 一、二六〇
七五 一五 一、一二五
六〇 一六 九六〇
四五 一七 七六五
三〇 一八 五四〇
一五 一九 二八五
〇 二〇 〇
最大收益點は先づ一割の利率にて一億五千萬圓を貸出し得る處にあり更らに精細なる計算を立つれば一割と九分五厘との間を以て最大收益點とすべき筈なれども利率の厘位以下を切捨てたる概算の結果は右の如くにして最高二割の假定が甚しく杜撰ならざる限り右の一表は單に最高利貸出の必ずしも日本銀行の利益ならざる道理を證明するのみならず一割内外が銀行の宜しく採擇す可き利率なることを示すものと云ふべし左れば假令ひ總裁に金利昂低の全權ありとするも非常の高利を以て社會を苦むるの愚を試みざると同時に株主の利益を■(にすい+「咸」)殺して非常の低利に貸出すの醜を犯すこともなく金利昂低の標凖は十分に公明正大なる者と爲り苟も毎週の兌換券發行高營業報告貿易月表等を一覽するものは略ぼ金利の昂低を前知するを得て俄然として暗中意外の邊より金利昂低の聲起るの弊を絶ち隨て早耳連の大藏省若しくは日本銀行に附纏ふ陋習も消滅し又實業家は大臣總裁の門庭に百度參りも到底一點の御利益なしと斷念して徒に例外の特典に關らんとする僥倖心を去り商業の獨立始めて確實なるを得べし我輩の日本銀行獨立を切望する所以なり