「信用組合の成立を望む」
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時事新報に掲載された「信用組合の成立を望む」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
信用組合の成立を望む
農工銀行の設立委員は先頃來各府縣に於て任命せられ昨今創業の凖備中なれば遠からず開業の運に至ることならん近年米價騰貴の爲めに地主を始め小作人の末輩に至るまで意外の收入を得て生計に餘裕を生じ地方一體に好景氣の模樣なれば農工銀行が資本金を募集するにも格別資産家を煩はすに及ばず小額の株式を發行する以上は細民の餘財を吸收するに難からざる可し且つ國庫より株式引受の資金を地方政府へ交付するの定めなれば同行の資本金募集には差當り困難の事業なきが如し地方の人々が今日農工銀行を設立せんとするは時機の宜ろしきを得たるものと云ふ可し思ふに世人が農工銀行の營業に重を置くは同行が二十人以上の農工業者に連帶責任にて無抵當貸付を爲し所謂對人信用の道を開らくが爲めならん一國の生産業に直接の關係あるは中産以下の農工業者なれども是等は固より資産に乏しく一日の勞を以て其日の食に代ふるの有樣なれば事業の改良、擴張に供す可き餘財なく左ればとて他より借入れんとするも充分の抵當物なければ應ずるものなし稀にありとするも大抵高利貸の類にして世間その高利に責立られ遂に先祖傳來の財産を失ひ浮浪の民となりて他郷に流寓するもの少なからず地方に土地兼併の風盛なるは主として小農業家に資金融通の機關具はらざるが爲めにして對人信用の道を開くは即ち斯る弊害を防ぐ所以なり左れば農工銀行が連帶責任の無抵當貸付を爲すは至極大切の事にして設立の目的を達すると否とは要するに此規定の活用如何に在り若しも貸付の方法にして宜しきを得ば地方の小農工業者は低利の資本を得、農工業の改良發達に少なからざる効能あることならんと雖も然れども我國の實際に徴して今日直に斯る効能を收め得べきや否や聊か掛念なきを得ず其次第を述べんに無抵當の貸付は本來資産に乏しき小農工業者を相手とするものなれば對物信用と異なり篤と債務者の身上を取調べて果して貸付金を事業の改良に用ふるや否や又之を用ふるの技倆あるや否やを確めざる可らず此邊の調査十分にして始めて無抵當貸付の効用を見る可し然るに其調査たる抵當物の檢査などと異なり非常に難澁にして容易に行屆く可きに非ず左ればいよいよ開業の曉に至て農工銀行が大に無抵當貸付を爲して小農工業者に資金融通の道を開かんとならば先づ銀行の下に完全なる信用組合を組織し銀行は一切の責任を組合に負はしめて資金を貸付け組合の手を經て更に信用の確實なる組合員に貸付るの方法を求めざる可らず信用組合ありてこそ農工銀行の無抵當貸付も始めて圓滑に行はるるものなれ我國の如く斯る組織の備はらざる者に在ては無抵當貸付は却て農工銀行の營業に困難を加ふるに至るやも知る可らず元來信用組合の目的は一地方に於て信用の確實なる人人の間に資金の融通を圓滑にするに在りて餘財ある者は組合に託して安全の利殖を謀ると共に事業改良等の爲めに資本を要する者は之に就て出來得る限り低利長期の金を借入れ一方には細民の貯蓄を奬勵すると同時に他の一方には生産業の發達を催す其効能は盖し西洋諸國にては組合の業務次第に發達して確實の財産を有し地方の公共事業を補助するもの少なからざる由なれども本來組合員の信用を基礎とするものなれば一片の法律を發布したるのみにて直に完全の組織を見る能はず地方の有力者が今日大に盡力す可きは此一點にして事の順序より云へば農工銀行を設立する前に先づ組合の成立を謀る可き筈なるに然るに只管銀行の設立にのみ奔走して其營業が圓滑に行はるる所以の仕組に就ては毫も顧みる所なく甚しきは之を以て或は政治上の機關と爲さんとし又は徒に資本金を過大にして多額の交付資金を得んとするが如き形跡あるは何ぞや此の如くんば對人信用の發達を見る能はず無抵當貸付は一片の空文となりて或は設立の目的を曠うするに至るなきを期すべからず從來都會と地方との金融が疎通せざるは夙に世人の認むる所にして現に今日地方の人民が不時の收入を得れば得るに隨て奢侈の用に供し見す見す資本を空費するの〓あり經濟上最も忌むべき事なれば信用組合も如き小額の資金を吸收する機關を設けて不生産の消費を防で資本の増殖を計るは今日の急務にして此點より見るも地方の人士は信用組合の成立に盡力し他日農工銀行と相俟て小農工業者に資本を供し以て地方經濟の繁昌を謀るの覺悟こそ肝要なれ我輩の敢て勸告する所なり