「文明先輩の功勞忘る可らず」
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本文
文明先輩の功勞忘る可らず
〓に政府を〓くるは國事を處理せしむる爲めに外ならざれども文明立國に必要の施設は甚
だ多々にして政治は只その一部分の仕事に過ぎざるのみ假りに今、政府の組織紊亂して恰
も破壞することあらんか一時の混雜は固より免かる可らずと雖も唯是れに一時の波瀾〓〓
〓之が爲めに必ずしも國家の滅亡を决す可きに非ず之に反して國民が文明の要素に饑ゑて
自立の元氣を失ふこともあらんには社會は忽ち暗黒に歸して立國の體〓遂に維持す可らざ
るに終る可し東洋諸國支那朝鮮の如き紛れもなき實例にして其國勢の終に振はずして滅亡
に瀕するは國民に文明の思想なくして隨て自立の元氣に乏しきが故なり我國の王政維新は
政治上の大改革に相違なし否な更らに他の方面より見れば同時に社會萬端の改革にして文
明開化の進路を開きたる効績は决して抹殺す可らず我輩の確かに認むる所なれども抑も其
改革の原因を尋ぬれば一朝一夕の事に非ず由來甚だ久しく幾代の間に次第に開進の氣運を
養成して一旦その機の熟するに及んで先づ政治上の改革に發したるのみ左れば國家の大勢
上より見るときは維新の一擧の如き單に一小部分の改革にして毫も驚くに足らず或は日本
人は自から非常の大改革なりとして認むることならんなれども試に外國人の身を以て考へ
たらば其大改革は日本國に行はれたる内輪の事にして恰も大丸〓の呉服店が角大〓と名を
易へたるに等しく從來の德川政府が明治政府に改まりたるの事實を見るのみにして日本國
に對しては之を建國二千何百年の一帝國と認め其帝國の〓外如何に關しては歳月久しき前
後を通覽して文明進歩の勲章を求むることにこそあれば維新の改革の如き單に進歩中の一
波瀾として左までに之に重きを置かざる其有樣を喩へて云へば百年來佛蘭西が王國より共
和政に〓〓〓帝國と爲り又共和に〓する等頻々たる政變は佛人の爲めには〓から大〓動な
らんなれども吾々日本人の〓は〓〓〓〓〓〓あるのみにして政變の事をば深く〓に〓めざ
るが如し故に維新の革命を政治上の改革として見れば只是れ〓〓の改名に過ぎざるに然る
に當〓その事に〓りて〓〓〓〓を〓〓したる輩は自から維新の〓〓を〓〓して以前の事は
全く〓〓して顧みず今の〓日本は其輩の力を以て自から〓〓したるものゝの如くに〓〓、
單に政府の改革のみならず文明開化の大事業を〓〓家の〓〓として〓々自得の色あるは年
來の擧動に〓〓なり斯くの如きは國家を以て恰も政府の私有物と認め政〓〓〓に〓〓〓の
〓〓なしとするものに外ならず〓〓〓〓〓〓〓〓なるや彼の明治十四年の頃、一時の〓〓
の爲めに〓に〓を轉じて敎育の方針を一變し〓〓の〓〓〓〓を〓〓せしめて以て文明開化
の進路を〓〓〓〓〓〓たるが如き政論上の便宜の爲めとは云ひ〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
〓をも政府の力にて〓〓に〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓の〓〓より〓したる爲に〓〓〓〓
〓〓〓〓〓〓〓〓〓す可きのみ〓して其方針〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓に一時の〓騒動は〓
〓なりしかども〓〓〓〓の大〓〓〓〓〓げられずして〓々と進歩しながら一方には〓〓全
力を盡して〓〓したる〓〓〓〓の害毒漸く社會に瀰漫して施政上内外の障碍〓異ならず之
が爲めに第一に苦しめらるゝものは政府の當局者なりと云ふ今日と爲りては自から自業自
得の因果〓面なるに驚きたることならん否な當人に於ても實際悔悟の色あるは我輩の〓に
認むる所なり其悔悟にして〓〓て眞實ならんには早速その實を表して失策の取返しに着手
するは勿論、更らに文明開化の爲めに盡したる前人先輩の功勞を心に銘じて之を社會に發
揚し今人なして開明の由來偶然ならざるを記憶せしむるは實に一身の〓義のみならず自か
ら經世上の必要なる可し例へば今の洋學の始めは明和八年の春、前野良澤杉田玄白等の先
輩が千住骨ケ原に刑死人の解剖ありし時、人體内部の實物を舶來解剖書の圖畫に照らして
寸毫の相違なきを認め漢方醫學のいよいよ無稽なるを看〓して〓翌日より直に鐵砲洲奥平
藩邸内前野先生の宅に會して圖書の會讀を催ほしたる〓(解剖を觀たるは二月四日にして
會讀を始めたるは翌五日なり)實に日本國中にて洋書の會讀に從事したる始めにして當時
その書の意味を解するに非常の困苦を極めたる事實は杉田先生が老年の後に著したる蘭學
事始と題する書に詳なれば今の後進の輩は宜しく其書に就て見る可きものなり日本の文明
開化果して洋學の賜なりとすれば凡そ百三十年の昔その洋學の端を開きたるものは前野杉
田の諸先輩にして其人は既に亡しと雖も罪人の解剖を觀て蘭書を讀むの志を起したる其塲
所は即ち舊奥平藩邸にして其跡も今宵は現存することなれば苟も前人の功勞を思はんもの
は文明發展の遺跡として永久の紀念に供す可きものなり又我國の海軍は近年來非常の進歩
にして日清の戰爭には黄海の大勝利を収めて外國人の耳目を驚かし又今回富士艦の回航に
就ても日本人の手にて蘇西運河を苦もなく通過して世界の前例を破りたるが如き一見驚く
可きに似たれども其〓達の由來を尋ぬるときは是れ又遠く〓〓前の時代に端を發したるも
のなり抑も日本人が始めて蒸氣船を目撃したるは嘉永癸丑ペルリ渡來の時にして甞て仄に
傳聞したる蒸氣船とは斯る物なるかとて只その巧妙不可思議に驚きたることなりしに其後
全七年萬延元申の年には外國人の手を假らず全く日本人のみにて蒸氣船を運轉し太平洋を
横切りて米國桑港に往復したり我開闢以來始めて蒸氣船なるものを見てより僅々七年の間
に其運轉法に熟達して大西洋を往復とは古今〓〓の例にして此一事こそ實に海軍發達の〓
〓〓したるものなるが其船〓として船中一切の指揮を司りたるは時の軍艦奉行木村攝津守
即ち今の海軍大尉木村浩吉氏の巖父にして現に芥舟翁と稱して今年七十に近く今尚ほ健在
なり翁は當時航海の術に長じたる技師に非ざれども兎に角に日本建國以來最前一發の軍艦
長として太平洋の彼岸に渡り諸外國までも其名を知られた本人なれば我國の海軍史上に特
筆大書して其功勞は〓に埋没す可らず又當時〓〓の部下として咸臨丸に乗組みたる百何十
人の士官水兵の如き既に多くは死したることならんなれども中には尚ほ生存するものもあ
る可し今日〓〓の實際を見るに社會人文の進歩には何等の功勞ある可しとも思はれざる〓
〓古人物〓〓を捜出して位を贈り又は華族に列する等の事も行はるゝ其中に木村翁艦長を
始めとして咸臨丸の乘組員が其偉勲功勞の明白なるにも拘はらず單に舊幕藩時代の事なり
とて恰も忘れられて社會の暗處に屏息するとは〓も〓も驚き入たる次第にして我輩は唯明
治政府の小局量を憫笑するのみ右は一二の例を記したるに過ぎざれども今の當局輩にして
眞實年來の非を悟り立國の根本は文明開化にして其〓〓は大にして且つ多く政治の如き輩
に其一部分たるの實を解して大に國家に〓さんとするの考へならんには全力を奮て直接間
接に文明主義を奬勵〓〓するは勿論、又前人先輩が此主義の爲めに心身を勞したる其功勞
を社會に發揚して世人をして永く記憶せしむるが如き人心の緩和誘導に最も有効の手段な
る〓〓として我輩の敢て注意する所なり
進歩黨要求の成行如何
政府にては明年度の財政計畫を定むるに付きいよいよ增税の説を生じて此程〓評議中のよ
しなる折柄、數層の組織當時より結託の實を表して方向を共にしたる進歩黨は数箇條の要
求を提出して政府に迫り其要求にして容られざるときは斷然决する所ある可しとて氣船一
方ならざるにを政府の當局者に於ては若しも黨員等の言ふがまゝにして其申分を通さんか
恰も政黨に服從するの姿を成して政府の威巖は立つ可らず况んや要求の簡〓に就て見れば
實際不通の注文到底聞く可らざるものなきに非ず左ればとて今日の塲合に全く拒絶して彼
等の反對を招かんには差當り今度の議會に多數を制するの見込はある可らずとて苦心容易
ならず既に閣外の元老などにも相談に及びたりと云ふ左なきだに基礎の固からずして動も
すれば〓〓を〓かれざる現政府が自家の味方と賴みたる政黨よりして恰も不意の脅迫に出
遭ひたることなれば其〓〓〓見るべし局外より見ても察し入る所なれども抑も增税の决斷
は目下の財政上、民の負擔を增すことにして納税者の身として之を喜ぶ可き〓なければ其
手段は借金の返濟を求むるが如く容易なるものに非ず此方より折入て〓入るこそ至當なる
中にも第一には政府自から部内の改革を〓じ大に老物を淘汰して人材を登用すると同時に
諸般の業務に改良擴張の計畫を立て斯く斯くの理由なるが故に云々の〓〓を要する次第な
りとて何人に聞かしめても成程尤もまりとて首肯せしむるだけの用意はなかる可からず即
ち增税提出の前に行政整理の必要なる所以にして此一〓は我輩の毎〓勸告したるのみなら
ず政府に於ても最初より實行を宣言して既に自から〓〓したる〓の次第なれば今更ら〓〓
は許す可らず目下正に議會の〓〓に迫りて增税の〓さへ定めざる可らざる此大〓の塲合に
鑑みながら何ぞ〓に其實を擧げて天下に表白せざるや進歩黨より要求の〓〓なりと云ふを
見るに〓〓〓〓の〓文なきに非ざれども要するに其〓〓は政府に向て改革〓〓の實を望む
ものに外ならざるが如し〓し〓〓〓の心〓を〓〓するに〓〓より現政府に味方して今日こ
そ方向を共にしたるこそなれば今〓ら〓〓の〓〓〓〓して政府を〓しむるが如きは决して
好む〓に非ず成る可く之を助けて永續を謀るこそ自他の利益と〓むるこそならんなれども
爰に大に考へざる可らざるは明年の總選擧なり年來經費節減〓〓輕減云々を唱へて選擧人
の氣に投じたる輩が明白の理由もなきに遽に政府の增税案に賛成したりとあれば他の反對
者に攻撃の材料を與へて忽に人氣を損じ選擧競爭の勝算覺束なきに至る可し今更ら政府に
〓るゝも推しけれども左りとて小にしては一身の利害、大にしては一黨の盛衰には代へ難
しとて政府に改革の實を擧げしめ世間人に對する面目を立てんとするは其輩の境遇に於て
〓理もなき次第なり今回の要求は詰り此邊の事情に出でたるものに外ならざる又その中に
は内々官邊の地位を希望して確に登用の〓を期したる〓政〓の决斷果敢〓〓しからずして
容易に志を達するの望なきより口にこそ言はざれども内實不平に堪へずして事を好むもの
などもある可し官途の出身を以て此上もなき榮譽と心得る政客の輩には是れ又無理もなき
次第にして當局者の大に注意す可き所なり要するに行政整理人材登用の二事は目下の人氣
問題にして蓋し黨員輩の精神も重に此二事に專することなれば政府は此際思ひ切て大に斷
行す可きのみ或は恰も政黨の強迫に遭ふて斷行とあれば政府の威巖を如何せんなどゝの掛
念もあらんかなれども本來この二事は當局よりの宣言にして今日まで延引したるは畢竟政
府の怠慢に外ならず假令ひ他の催促なきも議會の開會前には是非とも斷行す可き筈のもの
にこそあれば目下の塲合に之を行ふに何の差支ある可きや途に豫約を實行して人心の一變
を謀る可きものなり政府果して此二事を斷行して大に勇氣を現はし天下の人心をして自か
ら前途の希望を抱くに至らしめんか黨員の輩も自から世間に對するの面目を開いて增税策
に賛成の口實を〓ることならん殊に人材登用の一事の如きは此際〓〓の〓〓上に最も必用
の處置にこそあれば思ひ切て大膽に行ふ可きのみ政黨の方より見れば政府をして要求を〓
れしめたりと〓むることならんなれども政府に於ては只自家の宣言を實にしたるまでに過
ぎず双方共に面目を仝うするものにして一擧兩全の計と云はざるを得ず處は曰く進歩黨要
求は甚だ大にして决して此二事に滿足するものに非ず内國の異分子を淘汰す可しと云ひ豫
算の再調査を爲す可しと云ひ其他不通の〓〓のみにして若しも其要求に應ぜんとするとき
は政府を〓〓て進歩黨の手に付するの實を成すものにして〓〓〓〓に行はる可らずとの〓
なきに非ず進歩黨にして〓して〓くまでも其〓條の實行を望むとあらんには是れぞ眞實〓
〓の注文にして單に〓きを責むるもの〓〓〓〓〓して〓き入る可きに非ざれば政府は此一
〓に至りては〓く〓て動かず飽くまでも所信を守りながら〓〓〓〓〓を瓢々と〓行くして
增税〓を〓〓し斯くて進歩黨又は内國〓中にも不〓のものあらんには勝手に〓〓〓しめて
〓天下多〓の人心に〓ふ可きのみ今日の〓〓に〓して〓〓の所見は右に〓〓〓され〓〓事
の實際に於ては〓〓の精神は〓か〓明白にして〓〓しも〓〓を〓〓〓〓〓るものに〓ず又
政府に於ても〓會〓〓の今日に〓〓を〓外して自から危うするが如き〓で〓〓〓〓〓とも
〓なれば〓〓の利害よりして自から〓〓〓〓〓〓〓〓〓ならん〓〓の〓〓して見んと欲す
る所なり