「社寺法無用」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「社寺法無用」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

社寺法無用

政府にては今回神社法、寺法の兩方案を制定し第十一議會に提出する都合なりと云ふ法案の細目は固より知る可らずと雖も重に社寺の財産管理を主として隨分苛細の箇條もあるよし而して其苛細の點は如何と云ふに民法に規定したる會社法に類似して尚ほ其上に施行命令を細密に定め神官住職の職務權限、氏子檀徒の權利等を列記して二法案共に多少の相違はあれども凡そ數十箇條にして詰り法律を以て社寺の財産管理上に干渉するものに外ならずと云ふ姑らく寺法の一方に就て論ぜんに例へば檀徒信徒の中より參助役なるものを選定して財産の始末を監督せしめて又その財産の種類を規定し殊に甚だしきは布施物の納方、葬式料の支拂ひまでにも干渉して世話を燒かんとするが如き果して實際に行はる可きや否や或は政府の威光を以て僧侶輩を強制し無理に行はしめんとならば一時或は行はるることもあらんなれども條約改正の結果として外國人の内地雜居は近く二年の後に在り其曉に至れば苟も日本居住の人民は其何國人たるを問はず平等一樣、國法の支配を受く可きは勿論なるに然るに外國より内地に來りて會堂を造り寺院を建て又は學校を設けて布教に從事する彼の新舊二教の耶蘇教徒をして斯る法律に服從せしむるの見込ありや如何、其教會の資金は何れより供給するやに拘はらず基本金は云云、通常金は云云、又その豫算决算は云云す可しなど命令して法律の規定に從はしめんとするも彼等は到底服從する可きに非ず如何となれば本來彼等は宗教自由の風に慣れて宗教上の事は一切獨立の經營に仕來りしものにこそあれば苟も文明自由の國に見る可らざる斯る干渉の法律に從はしめんとするは無理の注文なればなり此時に至りて政府は如何にせんとする積りなるや世界公通の道理には敵する能はずして詰り泣寢入の外なかる可し果して斯る塲合ともならんには日本の佛徒如何に無氣力と云ふと雖も同じ宗教にてありながら内外の別に由り斯く取扱を異にするとは宗教自由の本義に背くものなりとて囂囂不服を唱ふる其不服の申分は尤も至極にして政府に於ても之に對するの辭を得ず結局寺法なるものは滅茶滅茶に歸するの外なかる可し止むを得ざる結果にして其成行明白なりと云ふ可し或は曰く目下の實際に世間の寺院を見れば住職一身の不埒の爲に維持の財産を蕩盡して寺を荒らすもの少なからず寺法制定の止む可らざる所以なりとの説なきに非ず其事實は我輩の明に認むる所にして某縣某寺の住職が山林を投資にし代金を懷にして寺を遁出したりなどの談は毎度聞く所なれども抑も斯る不始末は某寺院より云へば容易ならぬ次第なれども政府の眼より見るときは毫も驚くべきに非ず世間の實際に放蕩息子が自家の財産を浪費して祖先代代の家屋田畑を皆無にするの例は珍らしからず寺院と云ひ俗家と云ふも一戸を構へて朝夕の烟を立て居る樣を政府より見れば全く同一にして道樂坊主の爲めに其寺を失ふも放蕩息子の爲めに其家を破るも只寺と家との不幸にして他人の知るべき所に非ず毫も頓着するに及ばざれども實際には一方に斯る不始末を演ずるものあれば一方には自から立派なる寺を建て又家を成すものもありて滔滔たる社會の人事を大觀すれば〓れを〓〓新陳代謝の法則にして其間に一點の喜憂を挾む可きに非ず區區たる人爲の細工は本來無用と知る可きのみされば政府は親切らしく小刀細工の法案など設けて入らぬ世話を燒かんよりは佛教耶蘇教を同一視して其間に區別を置かず全く放任主義を執て苛細の干渉をば一切思ひ止まるべし敢て勸告するところなり

尚ほ序ながら勸告せんとする所のものは寺院の轉宗轉波を自由ならしむるの一事なり今日の實際を見るに宗派の轉換は甚だ窮屈にして容易に許さざるが如くなれども斯る窮屈の筆法は内地雜居の曉に至りて外國人にも適用し得可きや否や覺束なき次第なり例へば彼の監督教會の下に在る寺院が一旦ユニテリアン教派に轉ぜんとすることあらば政府は如何に處置す可きや現に佛教各宗派の寺院に對して■(がんだれ+「萬」)行しつつある轉宗派束縛の筆法を以て之に處せんとするが如きは到底行はる可らず信教自由の世の中に於て彼れに自由にして此れに不自由なる不公平の處置は斷じて許す可きに非ざれば政府は先づ第一に宗教上に於ける内地雜居の凖備として今日より豫め轉宗派自由の方針を執る可きものなり要するに我輩は不治の病に罹りて到底回復の望なき病人の一日生き延びんことを祈るよりは寧ろ健全無病者の健康増進を欲するものなり實際に半身不隨のみか殆んど瀕死の塲合に陷りたる不始末だらけの寺院を小刀細工の工風に由りて無理に維持せんとするが如き人情一偏より云へば何か親切らしく見ゆれども國家の上に立て冷眼以て宗教の全體を眺むるときは全く入らざる心配にして一般の進歩には有害無益の處置と云はざるを得ず政府は斷然かかる餘計な事に手を出すことを止めにし寺院の盛衰興廢をば自然の淘汰に一任して以て健全無病者の發達を自由ならしむ可きのみ