「政界の進歩」
このページについて
時事新報に掲載された「政界の進歩」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
政府は今度自由黨との提携談に付き其條件として内閣二大臣の椅子を同黨に與へ黨員中より數名の局長知事を出し又人權問題に關しては全く自由黨の主義を採用す可しとの議を申出したるよし思ひ切たる條件にして一も二もなく同意と思ひきや黨議に於て斷然拒絶とは政府の意外に出でたることならん若しも政府が最初より斯る決心にて彼の進歩黨に對して同樣の申出を爲したらんには過般の如き離縁騷ぎの風波もなくして目出度和合を見たることならんに前には進歩等の要求を過大なりとして〓斥しながら自由黨に向ては斯る思ひ切たる條件提出とは恰も前妻には自から愛憎をつかして之を放逐し更らに結納を厚くして第二の妻を迎へんとし今度は却て先方より拒絶せられたるものゝ如し失策に相違なけれども其失策は姑く擱き事の全體を眺むれば政府が大臣の椅子を賭けて政黨の援助を求むるに至りし其事實は取りも直さず政界の進歩にして民論政治の實行いよいよ遠からざるを證するものと云ふ可し思ひ廻せば明治十三四年の頃、國中に國會開設の議論甚だ盛にして頻りに其開設を促したれども政府は國會尚早の説にして容易に動かず漸くの事にて廿三年を期して開設を約束したれども爾來政府の擧動を見れば約束の實行を數年の後に控へながら實際の方向は全く反對にして恰も政府の威力を以て天下の民論を壓服せんと試みたるは明白の事實なり今日より顧れば只驚くに堪へたる事のみにして當局者も今更ら赤面の外なかる可し例へば今度の提携談に大臣の椅子に迎へんとしたる星氏の如き當時に於ては紛れもなき亂臣賊子にして政府の爲めに捕はれて獄に繋がれ又は退去を命ぜられて放逐の身と爲りたるなど散々辛き目に遭はせられたる其當人を歡迎して大臣の地位を授けんとしたるものは即ち威力以て民論を壓せんと試みたる同じ政府にして當時の亂臣賊子と手を握り政府の席を分て興に事を共にす可しと云ふ其變化驚く可きに似たれども自から時勢進歩の然らしむる所にして實際驚くに足らず今回は事の纏まり妙ならずして其實を見るに及ばざりしかども今日の政界に政府政黨の提携は實際の必要にして今後政府が孰れの政黨と提携を約するも其條件は自から今回同樣のものならざるを得ず必然の成行にこそあれば早晩實際に行はるゝことならん民論政治の到來卜し得て間違なきのみか其到來の時機は案外速にして既に前途の春を認め得たるが如し冬より春に移る其間には自から嚴寒氷雪の變あれども季節の推移は自然の順序にして今や既に冬の半を過ぎて春風春水の佳辰に接すること決して遠からず昨今の紛紜は政海一時の波瀾のみ時勢の趣く所は甚だ明白にして既に民論政治の論を認め得たるものと云ふ可し我輩は此成行を見て政府の爲めにも喜ばず又政黨の爲めにも喜ばず只日本政治上全體の進歩として之を祝せんとするものなり