「保證凖備の制限に就て」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「保證凖備の制限に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

保證凖備の制限に就て

日本銀行が制限外發行の特權を運用するに就て充分の注意を加ふ可きは云ふまでもなきことにして其本來の性質を云へば銀行が發行餘力の盡きたる故を以て資金の融通を拒めばいよいよ金融の逼促を招き如何なる事變を招くやも計り難き塲合に始めて之を運用して大に逼促せんとする金融に多少の緩和を與ふる其一方には金融史上に金利引上げの意嚮を示して警戒を促すにあり要するに其實際の働きは一時金利の引上げを猶豫する手段たるに過ぎずして若しも之が爲めに金融に緩慢の實を見ず依然資金の急を告げんには斷然金利を引上げて制限外の回收を謀るこそ至當の處置と云はざるを得ず然るに目下の實際に日本銀行は七月以來制限外發行を繼續して今日に至るまで回收の模樣なきのみか却て其増發の爲めに物價の騰貴を促がしつつあるが如き决して運用の宜しきを得たるものに非ず一方に三千萬圓に近き制限外發行ある其上に輸入超過の結果として一旦非常の取付に遭ひて正貨凖備に意外の■(にすい+「咸」)少を見ることあらんには銀行は今後の金融市塲に對して全く其勢力を失ひ如何なる事變あるも手を拱して其成行に一任する外策の出る所なきに至る可し或は此邊を氣遣ひて兌換券の保證凖備發行高を擴張して一億圓に増加す可しとの説を爲す者あり一部の實業家これを唱へ政府部内にも賛成者少なからずして目下銀行と交渉中なりと云ふ兌換銀行券條例の改正には議會の恊賛を要するを以て事の成否は今日に於て豫知するを得ざれども試に我輩の所見を述べんに實業家が斯る説を唱ふる其眞意は制限外發行高を此上に増加するは容易に行はる可らざるのみならず其回收は必然の成行なるを以て更に保證凖備の制限を擴張して兌換券の増發を維持し以て一時資金の融通を得んとするに在ることならんなれども其結果は保證凖備發行の運轉に由て銀行の利益を増加し、今の制限外發行を制限内に移して銀行をして發行税の負担を免かれしめ通貨の收縮を妨げて目下の弊害を助長し金融上の變動を激成するに過ぎざるのみ兌換券の増發は必ずしも金利を低廉ならしむるものに非ず日本銀行が現今資金の欠乏を口實として兌換券を増發するが如き要するに策の得たるものに非ざれば若しも實業家の希望通り保證凖備の制限を擴張して兌換券の増發を維持するが如き處置に出でんには愈愈物價を騰貴せしめて資金の需要を促し金融の逼促は日に甚たしかる可し斯くの如きは金融の逼促を〓治するに非ずして寧ろ之を激成するものと云はざる可らず抑も兌換制度に正貨凖備と保證凖備とを設けたるの理由は兌換券の伸縮を自在ならしめんが爲めにして其作用を自然に一任せば正貨凖備の發行高と保證凖備の發行高とは反比例を以て増■(にすい+「咸」)し從て兌換券の發行高は常に適度を保つものなれば若しも漫に保證凖備の制限を擴張せんには正貨は自から海外に流出して兌換制度の基礎薄弱となり一朝輸出入に不平均を來すか又は戰爭其他の事變に由て正貨凖備に意外の■(にすい+「咸」)少を見れば兌換券の流通に困難を招くに至るや明白なり或は近年商賣の發達と共に取引の數も増加して現在の八千五百萬圓の保證凖備制限にては不足なりとの説もあらんかなれども其足ると足らざるとは當局者の目分量に過ぎず明治二十三年制限額を擴張して猶ほ歳月を重ねざる今日、同年以後數年の平均流通高を標凖として更らに擴張を云云するは或は大早計の〓なきやと我輩の疑を存する所なり彼の英國の如き千八百四十四年銀行條例を制定し英蘭銀行の保證凖備を定めし以來今日に至るまで一方には著しき商業上の發達を見ながら特に其制限を擴張したるを聞かず(實際は多少の増加を見たれども)當局者の處置宜しきを得て金融上格別の不便を招きたることなく然かも財政家中に兌換制度の基礎をしてますます鞏固たらしめんと希望する者少なからずと云ふ斯くの如くにして始めて信用を重んず可き中央銀行の面目を全うしたるものと云ふ可し要するに保證凖備の如何は兌換制度の安否に非常の關係ありて平時に於ても其擴張は大に愼重を加へざる可らざるものなるに一時の變態に乘じて之を動かさんとするが如き决して經濟社會に親切の處置と云ふ可らず我輩の一言する所以なり