「政界の風儀」
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時事新報に掲載された「政界の風儀」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
政界の風儀
維新政府は少壯の書生輩が組織したるものなれば其氣風自から活溌にして事を處するに簡易を貴び人に接するに磊落を旨として空威張りもなければ情實も少なく一意專心ただ國の進歩を計るのみなりしが故に人民の間に不平もなかりしことなれども凡そ物、久しければ腐敗するの習にて少壯活溌の政府も何時しか老大と爲り曾て徳川の階級政治を憤りしものが今は自から爵位の制を設けて自から華族と爲り殿樣流に生活して自から人民を輕蔑するの状を示せしのみならず一面に於ては情實の弊を〓ひ頻りに郷黨を用ひて上は大官より下は巡査の末に至るまで悉く同類を以て充すと共に官邊の威光を利用して利す可らざるの利を利するの形跡さへなきに非ず人民に於て不平なからんと欲するも得べからず而して其不平は則ち國會開設論の形を以て破裂し人心一時に沸騰して物論頗る喧しかりしかば政府も其始末に困却して有志者の舌を束縛し其運動を妨げんとしたれども大勢の趣く所如何ともす可らず遂に帝國議會を開設したるは恰も明治政府第二の維新にして爾來漸く面目を改め藩閥情實の弊も次第に衰へたり試に今日の政府を以て明治十四年前の政府に比すれば著しき相違なれども然れども今の政治界の空氣を以てまだ清潔なりとは云ふ可らず近來議員買收と云へる奇妙なる言葉の流行すると共に議員輩の擧動を見れば方向定まらず今日は西に向ひ明日は又東に轉ずるもの少なからず或は脱黨するものあり或は分離するものあり政黨界の船〓今日の如き甚だしきは未だ嘗て見ざる所なり其當人に就て一一説明を求むれば夫れ夫れ多少の理由あることならんと雖も局外者より見れば其理由甚だ薄弱にして感服するに足らず或は之を評して政界の風紀亂れたるの兆候と云ふも不可なきが如し政治は固より俗なるものにして政客に望むに道徳家の品行を以てす可らざるは論を待たずと雖も試に議會開設當時の氣風を顧みれば今日と大に趣を異にするものあり各議員が自から任ずる所輕からずして只管政弊の革新を促がし熱心に論爭したる其議論の中には固より過激粗暴取るに足らざるものも少なからざりしかども進退去就は未だ明白にして苟めにも曖昧の擧動するものあれば四方八方より非難して殆んど身を置くに所なからしめたるほどなるに今や見て以て常となし敢て怪むものなきは著しき變化と云ふ可し又選擧競爭の模樣を見るに初めは縣會議員の選擧にても國會議員の選擧にても運動の方法甚だ奇麗にして或は新聞紙に訴へて議論の是非を爭ひ或は演説して選擧人の賛成を求め或は意見書を配布して其同意を乞ふなど只管公明盛大に運動したるが故に其運動費なるものは眞實の運動費にして人に向ても支出の途を説明すること難からざりしに今や斯の如き方法は迂遠として取るものなく專ら内密に運動して少なからぬ錢を〓する其錢の支拂は人に向て〓るを〓す〓選すると〓とは主として散財の多少に依り人物の如何は敢て關せざるものの如し亦著しき變化と云ふ可し盖し斯の如きは立憲政治の通弊にして獨り我國に限らず歐米に於ても免れざる所なれども專制政府の惡弊を矯めんが爲めに近頃漸く生れ出でたる新立憲政治の中に早く既に惡弊を生じて政府と共に相待て政界の風紀を亂すが如きは我輩の遺憾とする所にして若しも此ままに放任すれば或は醜態百出することなしと云ふ可らず政府は宜しく維新當時の氣風を回想し議員は議會開設前後の精神を顧みて相共に自から戒め腐敗の淵に沈まざる樣注意せんこと我輩の希望する所なり