「經濟社會の危機」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「經濟社會の危機」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

經濟社會の危機

近來我國の貿易は平均を失して輸入常に輸出に超過し昨年は其額五千三百萬圓に達し本年は十月までにて既に四千六百萬圓に上れり英國などの如く外國に巨額の資本を放下し其利子として内國に正貨の流入を見る國■(てへん+「丙」)に於ては連年の輸入超過も敢て怪しむに足らずと雖も我國には斯る事情の存せざるにも拘はらず二年間に一億圓内外の輸入超過を呈したるは兎に角に經濟社會の變態にして其原因は政府が財政上の都合より償金を流用したる一事に在りと認めざるを得ず若しも兌換制度の作用が自然の成行に一任せられたらんには正貨は早く既に海外に流出して永く輸入超過の勢を持續する能はざる筈なるに政府が償金を流用して爲換作用に依て輸入品の代金を支拂ひたるを以て内國の正貨は毫も流出せずして終に斯る變態を招くに至りしものなり然れども償金なり公債の賣却代金なり本來無盡藏のものに非ざれば永く之に依頼して兌換券の増發を維持するは到底望む能はざる所なるのみならず増發したるだけの兌換券は結局正貨の取付を促がすに至ること必然なれば日本銀行なるものは此際大に警戒の方針を取り他日金融上の變動に備ふ可しとは我輩が既に屡屡論じたる所にして一方には政府に向て増税を斷行して財政の基礎を鞏固にす可きことを説くと共に一方には右の趣意を以て日本銀行の反省を求めたる次第なり然るに銀行の當局者は從來の仕來りを頓に變更するに忍びず兎にも角にも目下の實際に發行餘力のあるを恃みて兌換券を増發したる其上に金融市塲が果して制限外兌換券の發行を要するまでに切迫したるや否やも詳にせざるに七月以來その發行を繼續して今日尚ほ未だ回收の見込なしと云ふ一旦、通貨膨張して物價を騰貴せしめたる以上は銀行の預金も自から其數を■(にすい+「咸」)じ銀行に資金を借入るるものは多〓ますます借入るるを以て其貸付資本の次第に欠乏するは必然の成行にして如何に兌換券を増發して市塲の需要に應ずるも其増發したる兌換券は騰貴したる物品の代價となりて市塲に出で唯賣買の媒介たるのみにして遂に銀行の庫中に歸來することなく其結果はますます物價の騰貴を招きて金融の逼促を激成するに過ぎず火を以て火を消さんとするの類にして殆んど際限なかる可し或は制限外發行に依て兌換券増發の體裁を裝ひつつある中に輸出貿易好况を呈して輸出超過の實を收むるか又は外資の輸入を見て金融市塲の急を緩和することもあらんには此上もなき好都合ならんなれども實際を見るに今後回收し得べき償金并に公債の賣却代金も甚だ多からざるのみならず政府に於ても既に爲換の取組を中止したる由なれば日本銀行の正貨凖備は自から外國貿易の關係に依て増■(にすい+「咸」)するに至る可し而して今後輸入超過の勢が何時まで持續す可きやは容易に知る可らずと雖も普通の順序より云へば貿易〓出の爲めに通貨の收縮を致し物價平凖の〓に至て始めて止むものと覺悟せざる可らず殊に今年の如く〓〓の〓〓不充分の塲合には〓國米の輸入増加するを〓〓〓〓の超過も决して少額に止まらざる可し或は昨年〓〓〓の輸入次第に■(にすい+「咸」)少して機械原料等の輸入著しく増加の傾あれば結局生産力を増進するの効を見ることならんなれども既に輸入の超過を招きたる以上は必ず正貨の流出を促がさざるを得ず正貨の流出敢て憂ふるに足らず其流出は取りも直さず經濟社會の變態を匡正する所以なれども一方に三千萬圓内外の制限外發行を見たる其上に正貨凖備次第に■(にすい+「咸」)少していよいよ其發行を増加するに至るときは日本銀行は如何なる方針に出づ可きや世論に流布する保證凖備の擴張の如き銀行の發行餘力を増すの一策には相違なけれども其結果はますます正貨の流出を促して兌換制度の基礎を薄弱ならしむるに過ぎず現に明治二十四年の春季に於て外國貿易不平均の爲めに正貨凖備は五千七百萬圓より四千三百萬圓に■(にすい+「咸」)少し當局者をして大に疑惧の念を懷かしめたる例もあれば妄りに保證凖備を擴張するが如き策の得たるものに非ず兌換制度の安全を謀らんとするに金利を引上げて通貨を收縮するは到底免かる可らざるの數にして經濟社會必然の成行なれども左なきだに物價騰貴の爲めに資金の欠乏を訴ふる金融市塲は之が爲めに一層の困難を加へ如何なる事變を見るやも知る可らず我輩が日本銀行に警戒の方針に出でんことを望みたるは斯る塲合に際し其發行餘力を豐にして無事に難關を經過せしめんとの趣旨に外ならざりしかども今日の如く巨額の制限外發行を見て其餘力不充分とあれば今後の金融市塲に對して殆んど無力と云はざる可らず銀行が自から衛りて兌換制度の安全を保たんとすれば金融市塲の急を如何ともする能はず其急を救はんとすれば兌換券の増發は殆んど際限なくして結局兌換制度の基礎を薄弱ならしめざるを得ず銀行の苦境は此一點にして經濟社會の危機も亦茲に在りと云ふ可し或は目下經濟社會の變態を以て單に政府の責に歸する者あれども我輩の所見を以てすれば日本銀行が戰後所謂膨張的方針を唱へて妄りに金利を引下げ投機事業の勃興を促しながら其後毫も警戒の方針を取らざりし一事も亦有力の原因にして今後の困難も畢竟その失策の結果と云はざる可らず當局者は如何にして此難關に處せんとするや世人の大に注目す可き所なり